2015年7月8日

夏々に道はありけり濃紫陽花

また図書館でDVDを見ていた。十年前に講談社が出していた『昭和ニッポン 一億二千万人の映像』(全25巻)。昭和のニュース映画がバランスよくまとめられているのでいつもつまみ食いする。

第16巻、昭和44年のぶんが収められている巻を見ていたらだしぬけに上湧別という地名が出てきて驚いた。それは北海道の紋別の方にある小さな町だった。もう何年も前に市町村合併で名前は変わっていた。父親がこの町の生まれで、おれが生まれたのはすぐ隣にある遠軽町だった。

この町に住む大家族を紹介した映像だった。大家族がマスコミの取材を受けるのはいまもそうだが、昭和44年の上湧別でよく存在が知られたものだと意外に思った。花木今日松という老爺を主人にして親子眷属42人が共同生活を送っていたという。

ナレーションは言う。

「忙しい田植えどきも大所帯をほこる花木家にとって人手不足などどこ吹く風。小さい子供たちが学校へ出かけるとお次はお父ちゃんたちの番だ。母ちゃんグループも田んぼへ出る」

画面の中では馬が働いている。こういった生活は別段過去のものではないが馬はもういない。

昭和44年と言えば安田講堂が落城し、人類が月面に立った年だった。この年の出来事はなによりこのDVDが示していよう。他にめぼしいものを挙げると原子力船「むつ」進水、「モーレツ社員」の流行あたりか。晴海国際貿易センターで開かれた第5回日本電子計算機ショーというのもある。第1回が昭和37年に開かれている(花岡菖「黎明期のコンピュータの発展に関する一考察(2)MISブーム前後のコンピュータ事情」関東学院大学『経済系』第 216 集所収/2003)ので定期的なものではなかったらしい。第1回から第5回までの間に、日本の電子工業の市場規模は一兆円を突破している(花岡2003)。

ニュースは第5回の会場を映す。人の声を識別するじゃんけんゲーム、タッチパネル式の詰碁。「残念ナガラ/アナタの負デス」というゲームオーバー画面。そこに掛かってナレーションは告げる。

「無限の可能性を見せはじめた国産コンピューターの進歩。コンピューターが社会を変えようとしています」

そのご社会がそのようになったことは誰でも知っている。

花木今日松がいた上湧別、国産コンピューターがゲームで人間に勝った晴海、そのどちらもが2015年に繋がっている。二つの土地に流れていた時間は大きく異なっているように見えてほんとうは何一つ違っている筈はないのだ。がしかしそこに微妙な齟齬を感じないではいられないほどにはおれはまだ幼かった。昔から過去と現在との間に言い難い断絶を感じている子だったし、いまでもその断絶がどうやったら埋まるのかよく分からない。