2015年9月9日

泣き腫らす眼に新涼の木がひとつ

千葉駅から歩いて15分程度だろうか。物心ついたときから馴染みのとんかつ屋がある。ぼくの祖父の頃からの付き合いで、家族とたびたび通った。特に祖父は根っからの食道楽であったので、初孫の小さな口に美味いものを詰め込むのが趣味だったようだ。まだ二三歳のぼくをいつも連れ回してくれていたらしい。

ぼくが三歳の夏に、祖父は死んだ。幼い人間にはあまりに痛烈だったのだと思う。誰もいない雪の公園で母とふたりで遊んだ景色がぼくの最も古い記憶だが、その次の記憶が、祖父が心筋梗塞で倒れた瞬間である。祖父母のベッドの上に、ぼんやりと塊が横たわっている景色。その記憶は、不思議と無音だ。幼い防御本能が、死の呻きを消し去ってしまったのかもしれない。ぼくは咄嗟に、薬があれば助かると考えたのだと思う。祖父が服用していた薬の抽斗は到底届かない高さにあったのだが、何度も背伸びをし、飛び跳ねたことを覚えている。しかし、祖父が救急車へ運び出された後の記憶は、どこにもない。そうして亡くなった翌日から、ぼくは両親のベッドを離れて祖母と眠るようになったのだった。

祖父が亡くなり、そのとんかつ屋もやがて二代目に替わった。やはり先代のカツの方が旨いな、と言われていた時期もあったようだが、二代目も負けず劣らぬ味になった。家族で行くと、女将さんがたまに祖父の思い出話をする。しかし、一人暮らしをはじめてからは足を運ぶ機会がなくなってしまった。

気が向いて、ひさしぶりに実家に帰ることにした。その電車に揺られながら、昼食はとんかつにしようと思いついたのだった。スマートフォンでぐるなびを開いて、その店の名前を打ち込んだ。評価はあまり高くなかった。

ぼくはなんだかさびしくなって、千葉駅で途中下車するのをやめてしまった。キオスクでコーラを一本だけ買って乗り継ぎの電車を待ち、実家へ帰った。勝手口を開けて居間に入ると、祖母と母がいた。祖母はぼくがちゃんとご飯を食べているのかをいつも気にしている。その日も昼飯を食べてきたのかを尋ねられたぼくは、咄嗟に「食ってきたよ」と嘘をついてしまった。空腹を悟られないように、そのまま自分の部屋に籠った。コーラを飲むたび、喉がかすかに痛んだ。