フィリピンの冷たい風の死ぬところ
マニラの拠点に迎えのワゴン車が来たのが朝の5時半。それから長々と車にゆられ、ガタガタの舗装道を行くこと5時間で峠に着いた。首にはむち打ち予防に空気で膨らませるクッションを付けています。いま私は、ルソン島北部の山中にある、世界遺産コルディリェーラの棚田群へ行こうとしているのですが、まだ目的地までは半分だとツアコンの恰幅のいいおじさんは言う。しかも、頼んでもないのに、日本人が良く来るからって理由で案内されたこの峠の丘の上はえらく肌寒い。今頃マニラじゃ屋外プールで泳いでいるのに。
バレテ峠と言うそうです。なんにも知らなかったけれど、先の戦争の軍事的要衝で、マニラを追い出された日本軍の最後の組織的抵抗の地、というような場所。当然、悲惨な戦いになったし負けた。その敗残兵はなんの補給も無くジャングルを潰走することになり、大量の餓死者病死者を出し、その遺骨が山の中にとり残されることになってしまった。その激戦地にいくつかの慰霊碑が建てられています。※注
もしかすると、ここまで[転進]した日本の兵隊はちょっとほっとした瞬間があったかもしれないなんて思いました。気温が低くなり、松なんかもあって少し日本に風景が似てくる。かえって辛かったかもしれないけれども。丘をおりる途中、足に長い紐のついた鶏が放し飼いになっていた。
※注【いかなる戦いであったかの証言がここで見られます。参考までに】
NHK[証言記録 兵士たちの戦争]
フィリピン最後の攻防 極限の持久戦 ~岡山県・歩兵第10連隊~
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210013_00000
