2016年2月4日

天皇のおはせば東風の吹きにけり

スピカ2016.2.4

どうして「離宮八幡宮」なんて名前が付いたのだろう、と思って境内を見回すと、すぐそこに答えはあった。
ここにはかつて、河陽(かや)離宮というものが存在したのだという。嵯峨天皇によって平安時代の初めに築かれたもので、のちには山崎国府としても使われていた。離宮を建てるくらいだから、やっぱり大山崎はよいところなのだ。八幡市なんかに負けていない。境内にはこの標石のほかにも、綺麗に並んだ礎石のようなものもあって、さぞかし立派な建物があったのだろうなと思わせられる。これらの礎石の奥に、何の変哲もない小さめの岩があるのだが、横には「菅原道真腰掛け石」と書いた看板が立てかけてある。大宰府へ向かう道真がここに腰かけたのだろう。こんなものをいちいち保存して看板を作っていたら、日本中看板だらけになってしまう気もするのだけれども、そういうことにはなっていない。史跡として掲示するかそうしないか、という判断には絶妙なバランス感覚が働いているようだ。こうやって変なところに感心してしまうのである。