うさちゃんスリッパ履いて人生とは何ぞや
飼い主御中虫が、書斎でロッキングチェアに腰かけ足を組み、何やら本を読んでいる。
「ずいぶん集中しているようだけど、何読んでるの?」
「『相対主義の極北』」
聞いたことがない題名なので黙っていると、今度はまた別の本を手に取り読みはじめた。
「今度は何の本?」
「えーっと、『構造主義のパラドクス』…あっ、じゃあ参考資料にレヴィ=ストロースも読まなきゃね」
サイドテーブルにだんだん本が散乱しはじめた。
さらに観察していると、虫はいろんな哲学書や科学の本をつまみ読みしている。
「ねえ、そんなにあれこれ一気に読んで、ほんとうに知識が身につくわけ?」
「つくわけないじゃん。あっ今突然オイラーの公式について考えたくなってきた!数学書はどこだっけなー」
「一冊ずつ熟読した方がいいと思うんだけど…」
「そんなめんどくさいことしない。別に他人に蘊蓄ひけらかすために読んでるわけじゃないし」
「うーん、まあ読書方法は人の自由だけど。ところで、ひとつ気になっていることがあるんですが」
「なにー?あたしはいま人生について鬼のように考えてる最中だから、あんまり馬鹿な質問はやめてよね」
「あのさ、その服装と足元はなんなの?」
「これ?」
御中虫は自分の両足をぱたぱたさせた。
「うさちゃんスリッパのこと?」
「うん」
「こないだ友達にもらったんだーかわいいでしょ」
「でも…」
「でも何よ?」
「それ、ものっすご女子的でふかふかじゃないですか。もうすぐ夏ですよ。しかも虫さん、坊主頭でメンズの服着てます。うさちゃんスリッパだけ完全に浮いてます」
「それがナニよ」
「つまり変です」
「あーもう!だから兎野郎と会話するのはやだっつってんだよ!」
虫は読みかけの数学書を閉じると立ち上がって怒鳴りはじめた。
「いい?ジュディス・バトラーはこう言ったわ。男と女の二分法の呪いから脱するためには、自分のジェンダーをつねにパフォーマティブに撹乱させることが大事なのだと。あたしは身を持ってそれを人生において実践しているに過ぎないのよ。坊主頭にうさちゃんスリッパはジェンダーの撹乱にかなり有効と見たわ」
何を言っているのかよくわからなかったが、虫がすごい剣幕で怒鳴るので、頷いておくしかなかった。
ひととおり怒鳴り終えると虫は冷静さを取り戻したらしく、
「そうね、本を読んだこともないノニノニにこんなことを言っても無駄だったわね。あたしも悪かったわ。でも、これがいい機会よ。あなたも少しは読書の習慣を身につけるといいわ。そうねえ、なるべくわかりやすくて、かつ兎の人生に必要な入門書…明日までに探しておくからちょっとまってて」
そして翌日。
私のケージには、「やさしい兎の飼い方」という本が一冊置かれていた。