すらっと出来上がったような句。なんともなめらかな仕上がりである。
自分よりはるかに大きな象と時間を共にする「象番」。
この、大きな生物も、おなかをすかせたり、遊びたがったり、病気になったりする。
そんな当たり前であり不思議な事実を目の当たりにする仕事なのだ。
「象番にならぬか」と言ったのは、象であろう。言われたような気がした、ということだ。
いつしか、月明かりを受けて優しくこちらを見つめている象の虜となっている。
田中裕明の「 團栗やなりたきものに象使ひ」もあわせてイメージすると楽しい。
『春の蔵』(『飯島晴子読本』富士見書房、2001)より。