2016年2月22日

声あかるし遠くに鳴ける蛙ほど

20160222

大山崎山荘美術館本館にはアサヒビールの社長であった山本爲三郎のコレクションが展示されている。濱田庄司を中心に、バーナード・リーチ、河井寛次郎などの陶芸作品が多く並ぶ。
本館の横には、二つ新館がある。ひとつは地中館「地中の宝石箱」、もうひとつは山手館「夢の箱」で、どちらも安藤忠雄氏による設計である。「夢の箱」は、大山崎山荘着工から100年の2012年に竣工し、箱型の建物で、企画展が行われている。一方「地中の宝石箱」は円柱形の建物で、その名のとおり地中に埋め込まれたような配置となっている。どちらも氏の設計らしく、光の取り入れ方が印象的であることは言うまでもない。さてこの「地中の宝石箱」では展示替えはあるものの、印象派の画家クロード・モネの作品は常に飾られている。『睡蓮』3作品と、『エトルタの朝』『日本風太鼓橋』。照明も、これらの作品のために開発されたもの。この建物における安藤氏のコンセプトは「地中で印象派の作品に触れ、地上にあがると加賀氏の思いがこもった山荘があり、新しいものと古き良きものが対話する」というものであるという。

この大山崎山荘美術館に自分が訪れるようになった最初のころ、「地中の宝石箱」でモネの作品を眺めていると、警備のために立っている方が声をかけてくださった。
「この作品は、離れてみると違って見えますよ。あと、こちらの絵は正面からだけでなく、角度をつけてみるとより立体的に見ることができますよ。この絵なら、ちょうど、あのあたりから見るのがいいと思います」
実を言えばこのころ、美術館という施設自体にあまり行ったことのないような時期だったから、なるほど絵とはそういう楽しみ方があるのかとひどく感銘を受けた記憶がある。

昨年上野でモネ展に訪れたのだけれども、平日にもかかわらず多くの人々で場内が賑わっていた(とはいっても美術館ではあるが)。日本で見ることがなかなか叶わないものであることは確かなので、ありがたがって近くで見たがるのも当然のことだと思う。でも、もったいないなあと思うことがあって、そりゃあ各々が自由に見て自由に楽しんでいればいいのだけれども、それでも絵を見て「なんだかよくわからない絵だな」なんて呟いて、次の絵でも同じようなことを思って、そのままその展示室を去っていくような人もいるところを見ると、やっぱり、お節介なことをしたくなる。「これ、少し離れてみたらびっくりしますよ」って。結局、思うだけなのだけれども。

本館、つまり加賀正太郎の山荘には、睡蓮の庭がある。人ひとりが通るのがやっとの広さの扉をくぐりぬけて出たその庭は、すべてが緻密に計算された藝術作品である。時期であれば様々な生き物も見受けられて、しばし時の経過を忘れてしまう。この睡蓮の庭は、絵の睡蓮とそっくりで、絵は決して写実的な描写ではないのにそう思ってしまうというのも、どんなに写実的な絵や写真よりも、印象派の彼の作品のほうがはるかに写実的であるような気がしてならないからにほかならない。

モネも安藤忠雄も好きな身としては、至福の空間である。光を重要な要素として取り入れた作品、それによってできる空間に身をずっと任せていたい。
ちょっとだけ話がずれるけれども、光があるから闇も描け、音があるから静寂も描ける。「ある」ことによって描ける「無」こそが、僕の求めているものなのかもしれないなあ。ふと、そう思う。