2016年8月17日

(か)き散(ち)らす青(あをまつ)ことに後(うし)ろの松(まつ)

高校時代の僕は学校新聞を制作する委員会に所属していた。一面の記事を担当することになった僕は、何かすごい見出しをつけようと目論んだ。もっとも、一面には改築された正門についての記事を据えることが決まっていて、どう考えても地味な紙面になるのは目に見えていた。だから、とにかく見出しだけでも派手にすることで僕なりの抵抗を試みたのかもしれない。
そこで僕は、派手な見出しのつけかたをスポーツ紙の一面に学ぶのがいいのではないかと考えた。といっても、スポーツ紙などほとんど読んだことがないし、定石的なものもよくわからない。しかし、たいてい前日の野球の結果が一面に来ることが多かったので、僕はラジオで野球中継を聴き、翌日の一面の見出しを予想することにした。自分の考えた見出しと実際の見出しとの差を見比べて、発想の差から何かを学ぼうとしたのである。
さて、さっそく僕は巨人の試合中継を聴くことにした。その日は西武から巨人に移籍してきたマルティネス選手が決勝打を放ち、巨人の勝利となった。途端に僕は困惑した。見出しは短いフレーズが一般的だろう。しかし「マルティネスが決めた!」とか、マルティネス云々と書くだけでずいぶん長くなってしまう。いきなりの難問であった。一晩考えたが、結局「マルティネス○○」という見出ししか思いつかなかった。
翌日、スポーツ紙を見て驚いた。一面には大きく「マル」と書かれ、その下に小さく「決勝打」だか「サヨナラ」だとかいう文字が書かれていたのである。そういえばマルティネス選手には「マルちゃん」という愛称があったし、「マル」でわかるわけである。
その人の名前を律儀に呼ばなくともよい場合があることくらい、誰でも知っている。「マルティネス」は「マル」で良いのである。けれども、それならば、どうしても彼を「マル」と呼べず、また「マルティネス」としか呼べなかったあの夜の僕は何だったのだろう。