2016年8月26日

(た)ち泳(およ)ぐ幽霊(いうれい)もある河東(かとう)かな

父親が僕の家のルーツを調べたことがあった。父は家紋を額に入れて玄関に飾ったり、家紋入りのネクタイを特注したりするくらいだから、家への執着が強かったのかもしれない。むろん、父が長男であることも影響しているのだろう。
父によると僕の祖先はもともと新潟にいて、そこから出てきた六人が僕の実家のある群馬に入ってきたということらしい。そしてその六人の名字が全員僕と同じ名字だというのである。とすれば、途中で山越えをしなければならなかったはずで、清水峠か三国峠あたりを通ってきたのだろうか、いずれにしてもそれなりの危険を伴ったはずである。清水峠といえば川端康成が「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と書いた清水トンネルが後に開通しているが、僕と同じ名の六人が山越えをしたのはそれ以前に違いない。群馬から新潟に入っていった川端はそこに美しい世界を描いたが、新潟を抜け出して群馬に入ってきた僕の祖先はそんな世界などとはついに無縁であったろう。