2017年3月5日

紙箱に手のひらの蓋風光る

小学生の頃、夏になると近くの商店街には夜店が出て、結構な人出だった。

夜店の日は、まだ明るいうちから商店街は通行止めとなり、ポツポツとテキ屋が集まりだして、ベニヤやバケツなどを出して屋台を作り始める。その横を自転車で通り過ぎるのが好きだった。大抵、お隣の友達のシンちゃんに「偵察」の結果を伝え、弟や妹たちを引き連れて夜店に繰り出したのだった。

親から支給された500円を何に使うか。当時は当てものが100円でできたし、綿菓子は100円、焼きそばなんかも200円であった。裸電球のオレンジ色が気分を煽った。私にはお気に入りの当てもの屋さんがあった。大抵の当てもの屋が「くじ引き」の店だったが、そこはルーレット式だった。100円で購入したビー玉を漏斗に投げ入れると、下の回転する円盤に落ちて、ビー玉はしばらく弾かれ翻弄され、無数のくぼみのどれかに落ちる。当たりにはマジックで色が塗られた手作りのルーレットだった。くじ引き屋にはない透明性が支持され、いつも人だかりができていた。そこで一度だけ、3等のエアガンが当たったことがあった。夜店時代のハイライトだった。

学年が進み、商店街は急激に衰えた。通りを埋め尽くしていた夜店は、川が干上がるみたいに減っていって、屋台より後ろのシャッターの降りた商店の方が目立つようになった。寂しさもあったが、そうなると、いつまでも夜店に通い続けることが恥ずかしいことに思われて、足は遠のいていった。

中学か高校の頃、今日で夜店は最後になると知らされて、その時は大人ぶって「今までよく持ったなぁ」とうそぶいたが、今となっては、当時の突き放したような感情や行動を少し悔いている。