2017年5月12日

白服や遠き記憶のなかの人

ある時は流灯を見に行くという夜の吟行に誘われた。どこだったのか定かではないが、京成線で佐倉のほうへ向かった気がする。この日はだいぶ人数が多くて、岸本さんと婚約中だった岩田由美さんが岸本さんのお父さんと岡山からいらしていて、3人で参加された。由美さんとはこの時初めて会ったことになるが、高校教師である岸本さんのお父さんの教え子だという話だった。

高浦銘子さんとも初対面だったが、真っ白なフレアーワンピースの楚々とした姿が印象的だった。銘子さんも婚約中だったと思う。相手の方とは東大の合唱部で知り合い、お付き合いするなら結婚が前提でなければと言ったとか、そういう話は全部大屋さんから聞いた。大屋さんの情報量は俳壇ビッグデータというべきもので、俳人の家庭の事情にまで詳しかった。〇〇家の長女の名前、次女の名前などというのがすらすら出てくる。私が「歩く俳人名鑑」と名付けてあげたのが気に入っていたようだ。

銘子さんはもちろんその方と結婚されたのであるが、彼は一時期、私の中学・高校時代の友人H君の部下だった。このH君が大屋さんに輪をかけたような人物で、銘子さんと私が知り合いと分かると、銘子さん一家が米国滞在から帰って来た時に4人で食事をしようなどという話になるのだった。H君は西村我尼吾さんの友人でもあり、奥さんは熊本高校で長谷川櫂さんと同級生だったとか、信じられないようなつながりである。

そうそう我尼吾さんと言えば、学生のころ喫茶店でミルクを注文するのに「乳(ちち)ください」と言ってウェイトレスを恥ずかしがらせたとか、対馬康子さんと結婚するまでのエピソードも、大屋さんの大好きな話の一つである。H君も康子さんを知っていて、彼女のことはポン子ちゃんと言う。