2017年5月16日

夏鴨や江津湖と言ふときいきいきと

正木ゆう子さんは、私より1カ月早い昭和27年6月生まれである。5月2日に紹介した「俳句」の特集でその名前を知ったが、最初から型破りの印象を受けた。その時の短文も、俳句とは全然関係のないことを書いている。<「フールオンザヒル」という歌を聴くと思い出す人がいる。彼はネパールの山奥を歩いていた。もちろん初対面だったが、彼は私に砂糖黍をくれた。私は彼に指輪をあげた。夜店で売っているようなささやかなプラスチック。彼はそれを見て目を輝かし、そしてなんと、食べようとしたのだった。(私の言葉を、彼は食べてくれるだろうか。)>という次第。変わった人だと思った。「沖」同人のお母様やお兄様の影響で俳句を始めたようだが、さほど夢中になっているというでもなく、鎌倉佐弓さんの姿勢とはだいぶ違うように見えた。能村研三さんが「正木ゆう子ももうちょっとマジメに俳句をやってくれるといいんだけどネ~」などと言うくらいだった。結社の句会に熱心に参加するというのでもなく、最初からマイペースの人だったのである。第1句集を出すときもシリーズに入ったりはせず、昭和61年10月、私家版として『水晶体』を刊行している。署名入りの句集が送られてきて、「またお会いしましょう」というメッセージカードも入っているので、それ以前から付き合いがあったはずなのだが、正木さんと最初に会ったのはどこなのか覚えていない。
『水晶体』には〈サイネリア咲くかしら咲くかしら水をやる〉〈寒いねと彼は煙草に火を点ける〉〈タンポポ咲きティッシュペーパーつぎつぎ湧く〉などという、いまの若い人たちもびっくりしそうな作品が並んでいて楽しい。
正木さんは熊本の生まれで、中村汀女と同郷であることは誇りにしている。汀女の句やエッセイに江津湖のことがよく出てくるが、正木さんも故郷に帰ると江津湖に行くという。ここで生まれた句もあるとか。因みに、出身校は熊本高校で、1年後輩に長谷川櫂さんがいる。当時はお互いに全く存在を知らなかったそうだが。