2017年5月20日

さくらんぼ次女には次女の言ひ分が

中原さんが「銀化」を作ったのは、当然の成り行きのことだった。平成になってから誕生した結社としてはかなり大きい。「銀化」の看板はもう一人、櫂未知子さんである。櫂さんははじめ「沖」から独立した大牧広さんの「港」に参加した。しばらく手紙のやりとりをしていたが、櫂さんの第1句集『貴族』の出版記念会で初めて会った。私は頼まれて「港」に『貴族』の書評を書いた。ユニークな俳句なのでバッシングも受けたそうだが、私は応援団だった。彼女とは俳句についての意見がいろいろ合うので、ずいぶん一緒に仕事をしてきた。出版記念会のときの写真がどこかにあるのだが、残念ながら出てこなかったので、2004年のツーショットを。二人に共通するのは辛口のところらしいが、意見はだいたい合う。彼女が「俳壇の叶姉妹」と自称するようになった所以。季語のことなども共に勉強し、すっかりうるさくなったが、その櫂さんでさえ、最初の頃は句会で披講を担当したとき「青マンや~」とか「ブチ猫」などと読んで爆笑ものだったという。「青饅」「斑猫」のことである。初学のひとを励ますときはこの話をすることにしている。