2017年5月21日

歌姫はディーヴァと呼ばれ紅薔薇

昨日からMETライブビューイングの「エフゲニー・オネーギン」が上演されているので、句会の帰りに東銀座の東劇へ行くことに。最近でこそ世界の有名歌劇場の公演が配信され、世界各地の映画館で鑑賞するというのは珍しいことではなくなったが、それを最初に考えたのがニューヨークのメトロポリタン歌劇場である。毎年10本ほどが生演奏のままにデジタル録画されて世界に配信される。演目と歌手によるが、年に何本かは観ることになる。今年はアンナ・ネトレプコ出演の「エフゲニー・オネーギン」と、ルネ・フレミングが伯爵夫人役を歌う「ばらの騎士」を観ることに。ネトレプコがMETで「エフゲニー・オネーギン」を歌うのは二度目だが、何度でも観たい作品だ。それ以前はMETではこの演目はフレミングの持ち役だった。これが素晴らしくて、曲の魅力を知ったと言ってもよい。ただし、ロシア人のネトレプコが歌うと、ロシア語はもちろん、チャイコフスキーの音楽の暗さが切ないほど伝わってくる。お国物はやはり強い。

ネトレプコが最初に日本へきたのは10年以上前のことで、オペラシティのリサイタルを聴いて感動した。その時、むかし一緒に「ブラームスの会」という音楽サークルに入っていたYさんと、四半世紀ぶりに再会した。たまたま席がすぐ近くで、彼のほうから我々夫婦を見つけてくれたのである。終わってからお茶を飲んでちょっと話しているうちに、奥さんが俳句をやっているというのでびっくり。かつて「ブラームスの会」に入っていたころ、彼はまだ独身だった。某電機メーカーの研究所にいて、近々米国へ留学するということだった。私たちもまだ結婚はしていなかったが、一緒に会を辞めてしまったので、Yさんとも音信が途絶えた。それだけに再会できたのはほとんど奇跡だった。

聞けば、ネトレプコの追っかけをしているという。留学から帰ったYさんは、会社を退職して改めてスタンフォード大学で学び、現地企業などを経て日本の某大学の教授になっていた。仕事の関係で米国だけでなくドイツなどヨーロッパへもしばしば出かけるとのことで、海外のオペラをずいぶん観ている様子。ネトレプコは、世界的に有名になる前にサンフランシスコの歌劇場に出ていた頃から聴いてきたとのこと、ウィーン、ロンドン、ニューヨークと追いかける熱狂的ファンだった。