2017年8月3日

短夜の時代小説的溺死

―――私にとって、賞を手にするといいかもしれないこと

こんな私も最近では、じぶんの俳句を発表したり、ひとの俳句を選んだり、俳句について書いたり喋ったり、お仕事と呼べるようなことを任せてもらえることもある。
その一方、「なぜあなたに仕事が?」と言われることもある。直接言われるくらいなのだから、心の中で思うひとはもっと多いかもしれない。
「ラッキーです、うふふ」と答えるけれど、いえいえそれはちょっと謙遜なのであって、ラッキーであるのはもちろん半分以上本当なのだけれど、私は私なりに頑張っている結果でもある訳で……。まぁそもそも私に聞かれても困る。

プロフィールが短いのもつらい。いや、さっぱりしたプロフィールがとても気に入っているんだけれど、短いので書き足してくださいと言われるのがつらい。つまり、書くことないのがつらい。

もしかして、こういうもやもやって、賞を手にすることで解決しちゃうのでは?

名刺代わりとしての賞。賞の政治性を自覚的に利用すべきなのだ。

(つまり、私、やはり「やっていけていない」ってことなのかな)

◆次回は、「賞」とはなにか