2017年8月11日

ゆがみつつ疾きピザ生地ぞ秋の昼

―――髙柳克弘さん、インタビュー

第19回俳句研究賞を最年少の24歳で受賞なさったことは、俳壇においてもまぶしいニュースであったことと思います。賞に応募したきっかけはなんですか?

鷹の藤田湘子が選者をしていたからですね。あの頃は、とにかく自作を見てもらって、選を受ける機会がほしかった。句会では限られてくるから、俳句研究賞で50句見てもらえるのは、貴重な機会でした。私の他にも、鷹でそうした気持ちで応募していた方も多かったです。
厳しい先生だったので、弟子だから贔屓してくれる、というふうには考えなかったですね。受賞の電話がかかってきたときも、編集の方にかわって湘子が出て、「まだ全然だめだからな、いい気になるなよ」とさんざんクギを刺されました。
授賞式のあとの二次会でも、「こいつはまったく未熟者で……」と、ぜんぜんお祝いムードではない、こわーい挨拶でした。
だから、受賞したのに、誉められたというより、叱られたという記憶の方が残っていますね。

湘子先生がまず大いに貶すことによって、他からの批判を牽制した、という側面もあるのかもしれませんね。
受賞歴でいいますと、1993年、中学1年生の頃に、遠鉄ストア童話大賞を受賞なさっていて、その『ゆきうさぎ』という童話は、書籍化・アニメ化もされています。

あれは、地元では大フィーバーでしたね。それもあってね、俺って才能があるんじゃないかって勘違いしてしまったところがあります。

それが、執筆活動の第一歩だったのですね。
田中裕明賞は、第一回のときに『未踏』で受賞なさっています。初回ならではのそのときの心境や、印象的なできごとがあれば教えてください。

田中裕明さんは尊敬する俳人だったので、その名を冠した賞をいただけたことは、嬉しかったですね。
俳人協会新人賞を受賞できなかったあとだったので、余計に。
授賞式も(第一回は中華料理屋さんでした)、その後の吟行句会も、とてもアットホームな感じで、「これから作っていくぞ」という雰囲気があった。私も田中裕明賞の理念に強く共感していたので、賞を作っていくその一員に加えてもらったことは誇らしかったですね。
第一回ならでは、ということでいうと、やはり責任重大だと感じていましたね。どういう人が受賞しているかということが、今後の賞にも関わってきますし。最初に受賞した人がその後すぐに忘れ去られてしまうということではいけないなと。
また、私の句集は、斉木直哉さんの『強さの探求』という句集とかなり競っていたと聞きました。名前は知られてなくても優れた書き手はいるから、安心感などは全然なかったです。

そうだったのですね。田中裕明賞も注目を集める大きな賞となっています。
では、高柳さんにとって、賞とはなんですか?

賞はいわゆる「市場」との関係性が濃くて、文学の評価基準としては明らかにおかしいような軸もしばしば入り込んできます。だから、「賞には関心がない」という冷笑的態度や、「賞なんて意味はない」という否定的態度も出てくるのも道理です。
でも、俳句にも小さいけれど「市場」があって、そこを足場として俳人が立っている部分もあるわけですから、自分たちの立っている場所を強固なものにするためにも、賞は不可欠だし、評価システムとしてより健全に機能するように努めていく必要もあるでしょう。
具体的には、結果や過程に対して、もっと声を上げていきたい、要するに盛り上げていきたい、ということですね。

それは、ただただおめでたいムードを作るだけではなく、賞について批判や疑問を呈したりするということでしょうか。
第2句集『寒林』は第40回俳人協会新人賞受賞とはなりませんでした。選考委員の、無季の句についての「心から惜しまれる」「俳人協会の賞の対象範疇を逸脱している」などという評が一部で話題になりました。『寒林』に無季の句《瓦礫の石抛る瓦礫に当たるのみ》を収録したことについて、もしもなにかお考えがあればお聞かせください。

それは、編年体で編んでいたので、2011年の東日本大震災を詠んだ自分の句として、句集に入れておきたかったからです。外すほうが不自然でしょう。「文藝春秋」の「崩れし『おくのほそ道』をゆく」と題した企画で、芭蕉が旅で訪れた地が震災でどう破壊されたのか、単身訪ねてまわって、句をまじえたレポートを書いたんです。「瓦礫」の句は、名取川流域の閖上地区で、瓦礫の山の他は何もなくなっている大地を見て詠んだもので、季語を入れて作ったのでは、この荒廃を表現できないと思った。俳人協会が無季の句を認めていないというのは分かっていたんですけれどね。

お答えくださってありがとうございます。
時代によって、賞を取り巻く環境も変わるものなのかもしれません。

先ごろ、「俳壇年鑑」の年間回顧鼎談に出席して、その一年の賞を振り返るという話題も出たのですが、いまはすごく賞が増えているんですね。句集や連作を対象にしている賞だけで、おおよそ年間20個もあるんだと、そのときに知りました。
賞が多いと、話題も分散されていくので、必ずしも良い傾向とは思えなかった。
こんなに賞が多いジャンルもないんじゃないかな、「市場」規模に対して。
これは興味深いことで、「なぜ増えているのか」を考えていくと、今の俳句の世界が抱える問題も見えてくるかもしれない。

たしかに。それは若手のものに限らず、とても増えていますね。実質的なデビューのための賞もまぁもちろんありますが、実質的な功労賞も多いと感じます。

結局、「どういう句が良い句なのか」という作品の評価が分からなくなってきている時代なのかな、多様化しすぎちゃってて。小説や音楽だったら、「売れているかどうか」ということが大きな一つの基準になるわけだけど、俳句はそれもないから、批評の言葉がとても重要になる。多くの人に支持される、信頼される批評の言葉を紡げる人が、いまの俳句の世界にはいない、ということの証なのではないでしょうか。

なるほど。だからこそ時代を代表する作家を求めて賞が乱立している、ということなのかもしれません。
お付き合いいただきありがとうございました!


(同席した3歳児と談笑する高柳氏)

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髙柳克弘 略歴

1980年、静岡県浜松市生まれ。早稲田大学教育学研究科博士前期課程修了。2002年、俳句結社「鷹」に入会、藤田湘子に師事。2004年、第19回俳句研究賞受賞。2008年、『凛然たる青春』(富士見書房)により第22回俳人協会評論新人賞受賞。2009年、第1句集『未踏』(ふらんす堂)により第1回田中裕明賞受賞。2016年、第2句集『寒林』(同)刊行。2017年、Eテレ「NHK俳句」選者。近刊に『名句徹底鑑賞ドリル』(NHK出版)。他の著作に『芭蕉の一句』(ふらんす堂)など。「鷹」編集長。読売新聞全国版夕刊「KODOMO俳句」選者。俳句甲子園審査委員長。浜松市やらまいか大使。玉川大学講師。「三田 文学」に「死季折々」、「ふらんす堂通信」に「現代俳句ノート」を連載中。

◆次回は、ふらんす堂インタビュー