2017年8月24日

腕にタトゥー絡め新そば啜るなり

―――若者と賞

突然の俳句甲子園特集、いかがでしたか?
松山行きを決めたのはこの連載をはじめてから(つまり8月に入ってから)で、なんとかなるでしょといういつものやつ発動の弾丸単身手ぶら旅だったのですが、なんとかなって良かったよ~~!!それは協力してくださった方々のおかげです!この連載を口実に(?)お話できた方もたくさんいて、私、とってもたのしかった!また、人見知りかつ距離の詰め方が雑な私が、ほとんど初対面の方々とたのしくお話できたのは、堀下翔くんのおかげでした。審査員の先生方も、分刻みのスケジュールのなか、快く接してくださいました。神野家の皆さまにも大変お世話になりました。
こういう連載のなかで御礼を言うのはとても野暮なんですけど…、ありがとうございました!

大概の俳句の賞はaward(選考委員が決める)だが、俳句甲子園はさらにprize(ルールが決める=勝敗がある)の要素もあるのも特徴的だ。(さおりん先生の幸田高校、準優勝おめでとう!)
「あなたにとって俳句甲子園とは?」という質問は、「あなたにとって賞とは?」とも置き換えられるのかなと思いつつ。
もちろん、俳句甲子園を賞と位置付けるのは短絡的であって、イベントや生活の一部であるとしてお答えくださった方もいるんだけれど、いろんな方に定義してもらうと、やはり賞とはなにかということを多方向から照らしているように思える。

さて、私によるこの連載でインタビュー(おしゃべり)対象者が私の近しいひとであるということを差し引いても、若者(若手)と賞の関係が色濃い可能性はそもそもある。
それは、教育装置としての賞の世界にまだ近いところにいるから、とも言えるし、対若くない者の装備として、とも言えるだろう。もちろん他にもいろいろあるだろう。

シンプルにざっくり言えば、欲求と若さは比例するものなのかもしれない。

いや、どうなのかな。

◆関西若手俳人の皆さん、インタビュー