2017年10月3日

露草のひといろに雨濃うなりぬ

寺田寅彦に「自画像」というエッセイがある。

――それである日鏡の前にすわって、自分の顔をつくづく見てみると、顔色が悪くて頬がたるんで目から眉のへんや口もとには名状のできない暗い不愉快な表情がただようているので、かいてみる勇気が一時になくなってしまった。そのうちにまた天気のいい気分のいいおりに小さな鏡を机の前に立てて見たら、その時は鏡の中の顔が晴れ晴れとしていて目もどことなく活気を帯びて、前とは別人のような感じがした。それでさっそくいちばん小さなボール板へ写生を始めた。鉛筆でザット下図をかいてみたがなかなか似そうもなかった、しかしかまわず絵の具を付けているうちにまもなくともかくも人の顔らしいものができた。のみならずやはりいくらかは自分に似ているような気もした。顔の長さが二寸ぐらいで塗りつぶすべき面積が狭いだけに思ったよりは雑作なく顔らしいものができた、と思ってちょっと愉快であった。それでさっそく家族に見せて回ると、似ているという者もあり、似ていないというものもあった、無論これはどちらも正しいに相違なかった。――

「沖縄を何故詠まないのかい?」という問いかけについて考える中で、はじめに取り掛かった「沖縄」についての思考は、寺田寅彦にとっての「自画像」に似た感覚をなぞっていた。じっくりと考え直せば考え直すほど、いよいよ分からなくなってくるのである。