2011年8月11日

目競に勝てば西瓜はくれてやる

源平時代。平清盛が周囲の反対を押し切って京から福原へ都を遷すと、怪しげなものごとが次々に起こるようになった。ある朝、清盛が寝所から出てきて庭を見ていると、突然シャレコウベがあらわれ、上になり下になりどんどん増えて庭にあふれそうになった。そのうちもっとも大きなシャレコウベからは生きた人間のような目玉が千万も湧き出て、清盛をにらみ据えた。清盛は少しも騒がず、強くにらみ返すと、やがて霜が消えるように跡かもなく消えてしまった。

『平家物語』「物怪之沙汰」にあるエピソードである。
この話をふまえ、鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』には無数のドクロが描かれ、「目競」と名付けている。つまり「にらめっこ」で、清盛と怪異の息詰まる対決を子どもの遊びになぞらえているのである。古典に対するこのような態度は、乱暴に言ってしまえばとても俳諧的、といえないだろうか。

再三引用しているとおり、江戸後期の妖怪たちは狂歌や俳諧の世界によく馴染む。よく言われるような「自然への素朴な畏怖」や「人の心の闇」のような部分だけでなく、妖怪にはとても都市的な一面があるのである。