2011年9月25日

露草や子のさみしさのあふれそう

二人の子どもと上手に接することができているのか、時々わからなくなります。私は一人しかいないわけで、一度に二人を満足させることが出来るほど器用ではないので、やはりどこかで我慢させているのかな、と悩んだりもします。
大人だと、言葉でわかりあうこともできますが、まだ、会話もきちんと成立しない子どもたち。子どもたちの発するサインを見逃さないように、不器用ながらも向き合う日々です。