番外編 スピカ雑誌版記事「男性俳句・女性俳句」座談会 ちょこっと

SST×スピカ (榮猿丸×関悦史×鴇田智哉×神野紗希×江渡華子×野口る理

「スピカ」雑誌版、今秋発売。目下編集作業中です。
今日は、特集「男性俳句」の中の、SSTとの座談会「男性俳句・女性俳句」の中で、
泣く泣くカットした、座談の一部をご紹介します。

雑誌にさきがけた、ディレクターズカット版、というところでしょうか。

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 関  神野さんは、自分の作品に対する評で「女性ならではの」というような言い方をされると、腹たちますか?

神野  今はないですね。昔は、厭だなと思うことはありましたよ。でも、今は、自分がそういう句を作ってるな、という自覚もあります。

 関  高山れおなさんがウェブマガジン「詩客」で「トンネル長いね草餅を半分こ」という神野さんの句を挙げて、「これは女性でなきゃありえない」といってましたが…(日めくり詩歌 俳句 九番 女性性

神野  ああ、あの評は「へー、そうなんだ」という驚きがありました。性別はまったく意識しないで書いたので。

 関  うん、あれは男性ではありえない。

江渡  「女性俳句」ていうけど、女性っていう言葉自体は、少女性よりも、ジュクジュク系…成熟した女の人を想像するよね。

 関  最近は、その大人性とか完成性をひきはがすために、三十代女子とか、四十代女子とか。中身子どもですから許してね、みたいな。

神野  四十代、五十代になると、今度は「美魔女」とかいわれてますよね。

 関  外見が異様に若い人ね。

神野  年齢を感じさせないくらい見た目がきれいなので、魔女みたい、っていう意味で。

江渡  テレビ番組でもやってるよね。「魔女たちの二十四時」。

神野  「美魔女俳人」。

江渡  「魔女」がプラスの言葉になるっていうのが驚きだったよね。

 関  最近、J‐POPの話題が俳句界隈で出てくるんですが、これが分からない。

神野  範疇外ですか?

 関  80年代中盤以降は、まったくJ-POP聞いてないですね。

神野  わたしは、逆にJ-POPを聞いて育ってきたので…

江渡  スピッツとか?(笑)

神野  そうそう(笑)当時、ヒットチャートはつねに聞いてた。ラジオで流れる今週のベスト10を全部テープに録音して、毎晩、そのテープを聞いてた。今でも歌詞見ずに歌えますよ。

 関  歌詞の中での月並な表現とかが、わたしにはわからない。剽窃問題になった、種田スガルとCoccoの歌詞の類似性は見抜けなかった。

江渡  わたしは、Coccoが好きだから、あれを読んだときは「The」という感じでしたね。まさにCocco。

 関  歌詞はまた特有のバイアスがあって、詩的に完成度が高すぎてもいけない。

神野  そうですね。メロディーとの相性こみってところもありますしね。

江渡  (お通しが運ばれてくる)わー、衣被だ。

神野  「今生のいまが倖せ衣被」(鈴木真砂女)。

野口  卯波だけに。(この座談会は、鈴木真砂女の店、銀座「卯波」で収録しました)

 関  女性から見て、「女性俳句特集」が組まれるのってどうなの?

神野  戦略的なことでいえば、俳人のなかで、半分(=男性)ふりおとされるわけですよね。だから、掲載率は上がる。だから、女性にとってラッキーとも考えられますけど、私はやっぱり、「俳人」っていう同じ土俵でやりたいと思いますね。

 関  総合誌でやるのは、単純に、商売になるんじゃないですか。

神野  売れるという話は聞きますね。

野口  そういえば、SSTが男性のみで構成されてるってことを、意識したことはありますか。

 関  今日の企画で、はじめて意識しました。

野口  でも、スピカは、女性だけでやってるのが、戦略的だって見られるんですよ。

 関  それは戦略的だったんでしょう。

野口  いや、私たちもたまたま女性三人だったんです。戦略的だって言われるだろうとは予想しましたけど。

 関  女性だと、そういう風に意識されるってことが、織り込まれるのが面倒くさいね。

神野  どうせそう見られるって分かってるんだったら、無自覚にやるよりは、自覚的にやりたいというところはあります。できれば、女性三人だから、ってことで想像できる範囲内におさまらないように、陳腐にならないようにやりたい。

鴇田  だから、逆にスピカっていう名前にしたっていう。

神野  全然、女性っぽくない名前も考えたんですけど…

鴇田  タイヤとか。

野口  タイヤ(笑)

神野  鴇田さんはユニセックスなものを見つける才能がありますね。

 関  車とか電車だと男性性になるけど、タイヤは…(笑)

神野  「女性らしい」「男性らしい」っていう表現、句を評するときに使います?

 榮  それは言ったことないけど、る理ちゃんの句について「ガーリーだ」って書いたことはありますね。

江渡  なるほど、少女とも女性とも違う。

 関  句集の評するときに「女性に対してこういう言い方をするのはアレかもしれないが恰幅のいい句で」と書いたりはします。いかにも女性らしい優しさが出て良い、ということはあまり言わない。

神野  この女性俳句・男性俳句の問題って、意外と、読み手の問題なんですよね。

野口  たとえば、女性性を戦略的に使うっていうことも、長年あることで。じゃあ逆に、男性っていう性を戦略的に使う人って、あんまり印象にない。

鴇田  僕はね、猿丸さんの句を読んでて、榮猿丸っていう男性をすごい感じる。

神野  なるほど。榮猿丸さんっていう妙齢の男性がいて、コロナビールにガーベラを挿したり、彼女と朝、洗面台を共有したりする。

 榮  「週刊俳句」に朝日新聞の俳句担当の宇佐美さんのインタビュー(朝日新聞宇佐美貴子さんインタビュー 俳句は人間活動として面白い!)が載ってたけど、そこでも同じようなことを言われてましたね。よく言われるんですよ。あと、自分では恋の句は多いと思う。同世代の他の人に比べて。男に限っていうと特に。

鴇田  関さんの介護関係の句を見ると、男性性は感じるんだけど。

 関  あれは女性が介護しているようには見えない。

鴇田  猿丸さんの場合はちょっとミュージシャンのような人格設定かもしれない。

 関  ジャケット写真のイメージ自体が商品価値の中に入ってるような。

鴇田  一句一句見てると意識してないのかもしれないけど、その上を包括するような感じで猿丸がいるような。

野口  鴇田さんの句ってユニセックスですよね。

鴇田  今回の話題で、自分の俳句について考えていたら、自分の俳句はユニセックスに近い、と思うところがありました。  

 榮  トッキーの句から、女性性を感じる句を探そうと思ったんだけど、無理だった。平仮名多いし、やわらかい感じがするじゃない。だから女性らしいのかと思ったけど、全然違った。

神野  ホラーみたいな。

 関  鴇田さんの平仮名は、意味を剥奪して、現象学的還元をほどこした物体としての平仮名だから。

神野  そうそう。単純に、仮名使えば女性ってわけでもない。

野口  どっちかっていうと、子どもに近いのかな。子どもに戻る感じ。

鴇田  そう。基本的に、僕が志向してる俳句は、「意味からどうやって離れるか」ってことなんだけど、女性俳句と男性俳句っていう割り方は、もろ「意味」のほうへの注目だから。

 榮  そこは世代的なものもあると思うんだけど、SSTに共通してるんだよ。なんで俳句を面白いと思ってるかっていうと…

 関  意味とか主体の解体。

 榮  そうそう。そこがひとつはあると思うんですよね。

 関  総合誌で組まれる「女性俳句」の特集の問題点は、女性俳句を云々するんであれば、フェミニズム批評は構築主義的な考えが土台にあるわけですよ。女らしさというのは文化的にかたちづくられたものだという。後天的に作られたものだっていう土台がなければ成り立たない目線でもって雑誌を作っているにも関わらず、そこへ出てくる女らしさっていうのが本質主義になってしまう。構築主義とは逆で、本来、女は女らしいものであるっていう雑誌の作り方になってしまうので、構築主義でいくべきところを本質的主義に居直っちゃう。そこがねじれてる。

 榮  でもそっちのが売れるんだろうね。

 関  今回の特集も、宇多さんや鍵和田さんが、昔は家を空けられなかったとかそういうことを話してくださるのは歴史的証言として面白いんですけど、そのほかに、女性っていう括りで切らなければいけない必然性が、あまり感じられない。

野口  結局、読み手の問題なんだなって。作り手がどう作るかっていうより、読み手が読みたいように読んで、それが結局、女性俳句っていうのを浮き彫りにはしないだなって。

 関  男性で得したことといえば、女性の作者であるというバイアスを計算に入れないで済むっていう、そこだけかな。

一同  ああー。

神野  それは大きいですね。

野口  でも、女性の中には、そのバイアスがかかっていることが得だと思ってる人も多いと思います。戦略的に。

 榮  誰?具体的に。

野口  え…それこそ、鈴木しづ子とか。

 榮  昔の人か…(残念そうに)。

江渡  私は結局、作るときにも女性であることは事実なんだし、だから何当たり前のこといってんの?ってかんじ。私は、自分の句は女性的だなと思います。恋の句はあんまり詠んでないけど…身体的に女性であることを活かしてはいるかも。

 関  女性としての身体と表現におけるジェンダーがずれてる場合もありますよね。ウェブサイト「詩客」で高山れおなさんが、女性の俳句として、神野紗希と櫂未知子とを並べて取り上げてましたけど、櫂さんの句で挙げられたのが「啓蟄やかがやきまさる我が三角州(デルタ)」。素材としては自分の女性の身体を詠んでいるにも関わらず、詠みぶりがマッチョだという。

神野  女性だってことを逆手に取る強さ。

 榮  でもね、先ほど言ったガーリーっていうのは、僕の場合、ジャンルというより、ある意味俳句に興味をもった根本の部分に関わってるかもしれない。

 関  ガーリーであることっていうのは、魅惑的であると同時に、批評性の権化だから。

鴇田  男性俳句において、「ガーリー」にあたる単語はあるの?

野口  ボーイッシュとかですか?(笑)

 榮  ないない(笑)「オトコ俳句」ならあるんじゃないの。団塊のオヤジ俳句。俺は大きらいだけど。

江渡  ふーん。

鴇田  じゃ、そのままの意味で「ガーリー」な句を作ってる男もいるってこと?

 榮  ガーリーな句を、僕は目指してるわけです。

鴇田  うーん、ガーリーってのが、いまいちよく分からない(笑)考えときます。宿題。

 榮  僕は毎日一回は言ってるよ、ガーリーって。

野口  えええ!(驚)

神野  ガーリー、次にくるんでしょうか(笑)

 

(終了)

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