2011年11月16日

木枯しや線路に沿いて坂が急

中山奈々と会ったのは中学一年生の三月であった。吹田東高校で開かれていた青葉句会に先輩たちが招かれので、そこについていったのがきっかけだ。その後、同世代の子たちと句会がしたくて、ちょこちょこと「青葉句会」や、そこで指導されていた甲斐よしあきさんのもとで行われていた「早蕨句会」に行くようになって、月に一回は中山奈々と座をともにしていた。当時のぼくはただ中山奈々や塩谷紘世に憧れていて、句またがりや会話体の文体をまねして、少しでも近付こうとした。

そんな中山奈々は二十歳で句集「石榴」を編んだ。といっても、手作りの製本で、身のまわりに人に配った程度の句集だ。この句集はぼくにとって宝物のひとつになっている。

 終わるノート始まるノート休暇果つ

  破魔弓をさげて迷子となりにけり

  ががんぼや大正といふ時代あり

よく考えれば、中山奈々と出会って八年が経とうとしている。しょうもない企画を考えてはとん挫し、また考えての繰り返しだったけど、この秋から「手紙」をいっしょに発行することになった。「好きな人に好きって伝える」というコンセプトを掲げて、多くの人に「手紙」を投函していきます。

# now playing school food punishment『sea-through communication』