2012年5月7日

あたりまへのことを詠めといはれて

チューリップトルコの花で赤白黄

私の現在史2;武藤尚樹

武藤尚樹ももう俳句を作っていない。その意味で、猪村直樹に似ているが、猪村より一層はっきりと俳壇からリタイアしている。第2回俳壇賞を受賞し、平成4年に句集『蜃気楼』を上梓し、俳句を作らなくなった。この句集は28歳から32歳にかけてのモニュメントである。『新撰』世代そのものだろう。武藤のたどった軌跡は、少し遅れて来た田中裕明と言うにふさわしい((高校生同人詩誌「獏」に武藤・田中のふたりは参加していた)。

腹這へばなだらかな丘うまごやし

教会の屋根の鋭き五月かな

果樹園に深く入りゆく午睡あと

音なくゆきふりはじめふりやみにけり

のけぞつて浴びをり夢のゆふざくら

穴といふ穴へ入りゆく春がすみ

作品は微温的であるが、不愉快ではない。青春と言うにふさわしいゆったりとした詠みぶりである。もちろん好き嫌いはあるだろうが、こうした作品が脚光を浴びていた時代もあったのだ(やはり田中裕明に似ているようだ)。

武藤と俳句との縁は切れたが、私と武藤の縁はまだ切れなかった。お互い年賀状のやりとりは続いた。あるとき俳句に復帰しないかと武藤に問い合わせてみたが、武藤からは復帰しない旨の返事が来た。絶対俳句を作らないということはネガティブな生き方ではない。積極的な意志である。何よりそれは、俳句をたまたま作り、或いは俳句を作り続け、或いは俳句に復帰する、そのどれよりも決然とした意志の要る行為なのだ。これは中途半端に俳句を作り続ける作家たち(私も含め)に是非言っておきたいことである。

猪村との違いは今年も武藤からの年賀状が届いていることである。俳句を含め、余計なことは何も書いてない。今年52歳になるはずである。