馬鈴薯を洗ひ林檎のやうであり   野口る理

 異なるものの間の同質性を発見したわけだ。馬鈴薯はフランス語でポム・ド・テールというのであるから、同質性は理屈から攻めても明らかで、だから理詰めだという意見もあるかと思う。が、しかし、馬鈴薯は案外林檎に似ていないものだ。

 この句での「洗ひ」という行為は、「似ているものだ」という一般論を排し、出来事の一回性を描き出す働きをしている。この句はある日ある時のある馬鈴薯を詠んだ句。そこにささやかだが新鮮な驚きがある。

「眠くなる」(『俳コレ』邑書林、2011)より。