2012年6月10日

胸像の腕がダリアに触れている

今日も観光名所を限りなく歩いたが、その中でもやはり大英博物館は広かった。ロゼッタストーンに始まり、ありとあらゆる国の名物を見たので、世界を股にかけた気分になった。

特に、アッシリア王朝のライオンのレリーフが面白かった。射られたライオンが、実在するかのように、見ている者に敵意を向けていた。日本の修学旅行生に付いているガイドさんの説明に聞き耳を立てると、どうやらこのレリーフは世界で初めて、苦悶の表情を動物に託したものらしい。表情に時代の変遷があるとは思いもよらず、はっとした。

美術館や博物館で作品を前にしている時には、作者がどれだけの、どのような努力を費やしたかを考えるようにしている。しかし、そのように向き合っていると、体力を使うこともたしかだ。今回は展示の量が桁違いだったので、自分が疲弊するペースもかなり早かった。

そして、翻って自分は、絵でも彫刻でもなく、言葉を相手にしていることをつくづく考えさせられる。僕は心の中で、展示されていたモアイ像に向かって「お前に俳句が作れるか?」と聞いた。

僕は言葉を使って、何ができるのだろう。俳句は短いから、自分の俳句が、そこにあった芸術作品よりも劣る気がしてしまったが、ジャンルも違うし、そういう考えは俳句に失礼だ。他ジャンルの芸術作品を見て、これは言葉で表現しきれないな、と思うことは確かに多い。しかし、言葉、そして俳句にしかできないこともあるはずだ。何かを考える、そしてそれを言葉にする、解釈する、という回りくどいプロセスにこそ意味がある。