紗希 越智友亮さんの「おちぽっど」です。
華子 「i pod」に、かけてるんだよね(笑)。
紗希 越智くんが、毎日一曲、音楽を紹介しながら、その曲にまつわる俳句とエッセイを書く、という連載でした。
る理 毎回、曲の歌詞を、リンクに貼りましたね。
紗希 連載最終回で「ぼくにとって音楽というのは、記憶を思い出すときに手がかりになるもんなのかなと思います。結果的に恋愛の場面が色濃く思い出してしまうのですが…」と本人が書いているとおり、ちょっと恋愛の要素も強かったね。恋に悩む男の子。
どんぐりころころ恋をしているときが好き (2011年11月1日)
紗希 一発目がこれかい、と(笑)
華子 越智君らしいというか、色々エピソード思い出してしまうね。
紗希 黒歴史まっしぐら。
る理 いや、きっと本人的は自信作なんだと思いますよ。実際彼は、誰かに恋するというより、恋に恋しているところもあるし。
紗希 越智くんのいいところって、まさに「普通である」ってところで。本当に、普通の男の子。これ、ほめてます。その「普通である」ってことが、俳句にすると、俳句の常識からして「普通じゃない」ものになっている句が、私の好きな彼の句なんだよね。この句は、簡単な取り合わせの域を出ていないってところで、俳句の「普通」にとどまっている気がするなあ。
暖房やリュック抱えて席に座す (2011年11月17日)
紗希 これ、なんでもない句だけど、好きだなあ。
華子 あるある句だね。寄りかかるとき、背中の荷物を邪魔だと思い、前にまわす。
る理 句には電車とは書かれてないんだけど、電車感あるよね。添えられた文章のせいもあるけれど。
紗希 暖房だから、十分あったかいんだけど、荷物が邪魔になってはいけないとか、いろいろ考えてリュックを前に抱くと、なんとなく身を守るような姿勢になってしまう。その滑稽さ。
る理 ふつうの鞄じゃなくて「リュック」ってとこがいいですね。ひょい感。背中に背負うものであるはずの「リュック」を抱えるっていう面白さ、は、面白くないけれど、「リュック」の語感が良いな。
華子 うん、かわいいよね。ちっちゃい子みたいな感じ。あと、カタカナで軽いところがリュックがいっぱいでないように思えて面白い。
紗希 この句の主人公は、その姿のちょっとしたかなしさに、気づいてない。そこがまた切ないね。電車の中で、こういう人ときどき見かけるけど、そのときそのときで、なんとなく感じていた、些細な切なさを、すっと掬ってくれた句。
輪ゴムあらば留めるもの欲し冬薔薇 (2011年11月23日)
る理 かるーい欲望。輪ゴムだけでは満足しないけれど、欲しいものが「留めるもの」って。
紗希 冬薔薇をとめるために輪ゴムがほしいんじゃなくて、輪ゴムがあるから、とめるものがほしい、という逆転。
る理 「輪ゴム」ありき、なんだよね。
華子 ゴムの柔らかいけどそれゆえの不安定さが、冬薔薇で締まったね。
紗希 冬薔薇の、孤高の美しさが、輪ゴムに準ずるものに位置づけられることで、モノとしてのリアルを取り戻す。
銀紙ごと板チョコを割る雪が降る (2011年11月29日)
る理 文章、じたばたしてますね。イタタタ・・・
紗希 なんというんでしょうか。「大事な人」とか言われると、ちょっとこっぱずかしいね。「昔好きだった人」とか「片思いの相手」とか、なんでもいいけれど、属性をはっきりさせてくれないと、本当に日記を読んでいる感じで、ちょっともどかしいな。
華子 歩いていて、ふと昔の恥ずかしいことを思い出して立ち止まってしまう感じに似てる・・・。
紗希 句は好きよ!ぱきっ、きらっ、ふわっ、という。質感の連鎖。
る理 んー、イメージとか分かりやすいだけに、ちょっと既視感あるかも。
紗希 チョコの銀紙はよく詠まれるけどね。でもシンプルに動詞で連ねて「雪が降る」とさらっとあてたのは、なんでもないことをしてるんだっていう感覚をよくあらわしていると思う。
華子 音のリフレインは綺麗ね。雰囲気とあってると思う。
カップ置いて机は平らクリスマス (2011年11月25日)
紗希 これもけっこう好きな句だったな。
華子 何かをすることで別の何かの特性に気付くってのはよくあって、カップと机の平には意外性を感じなかったけど、クリスマスがよかったのかも。すとんと落ち着いた。にぎやかなのに静かな時期なんだよね。
紗希 「机は平ら」っていわれると、もし平らじゃなかったら・・・って思うのね。そうすると、コップが、ずず、ずずと、だんだん傾いて滑っていくような。クリスマスだから、そんな、引力を感じるような驚くことが起こってほしいような気持ちになるんだけど、でも、まだ「平ら」。これからはわからないっていう期待感と閉塞感の、両方があるのかな。
る理 この句を読むと、逆に、「柔かき海の半球クリスマス」(三橋敏雄)の丸さとか、「黒人の掌の桃色にクリスマス」(西東三鬼)の柔らかい平らさとかを思っちゃったなあ。その逆をいきましたよ感。それを払しょくするほどではなかったかな。
○まとめ○
る理 このちょっと大変な試み、一生懸命がんばってくれました。詩客でもGLAYの歌詞を詞書にした作品「夏音」を発表してたけれど、「おちぽっど」のほうが、読みやすかったな。
紗希 音楽から俳句を作るって経験はある?
華子 あるよー。なんだかその雰囲気に影響受けやすい曲ってあるよね。ジブリアニメ見た後、絵がかきたくなる衝動に似てる。あ、違う?
紗希 そうなんや(笑)。私は結構、曲を聴きながら俳句をつくることがあるので、「あの句はあの曲を聴いていて作った」という裏エピソードはいろいろあるよ。
る理 へー、おもしろそう(笑)。私はほとんどないなあ。聴きながら作ることもないし。ただ、まったく影響を受けていないとは言い切れないもんね。無意識になにかしらあるとは思うけれど・・・あ、「クリスマス」っていう字を見ると、「もろびとこぞりて」が頭の中で流れるよ。
華子 あー、なるほど。
紗希 でも、曲をあえて提示して、そこに俳句をつける場合は、単に曲を聴いて俳句をつくるというのとは、ちょっと意味合いが違ってくるね。曲もひとつの作品。それに対して、オマージュをしたり、パロディをしたりと、アレンジを加えていかなくてはいけない。
る理 結局、音楽じゃなくて、歌、さらにいえば、歌詞、から作ってる訳だよね。単純に音からじゃなくて、結局、言葉からインスピレーションを得てる。言葉と言葉、なんだなあと。
紗希 同じ世界観だと、曲の世界をなぞっているだけで、俳句に置き換えたにすぎないからね。俳句にできること、俳句の力とは、ということを考えるのに、つくるほうも読むほうも、いい連載だったと思います。
華子 そうだね。こういう挑戦って同世代の子がやってくれると嬉しいし刺激になるよね。
紗希 いくつか、良い句があったのがよかったね。
紗希 杉山久子さんです。句が素敵で、ぜひ連載してほしかった一人です。
華子 引き受けてくれてほんとうれしかったです。
る理 日々のエッセイと一句、そして写真を毎回一枚、upしてくださいました。
紗希 写真も、視点が面白かったね。文章もユーモアがあって。
華子 うん。普段文章をあまり目にしないひとのを読むってやっぱり新鮮だった。
紗希 12月というのは、いろいろとトピックが多く、変化の激しい月なので、日記のかたちにすることで、12月らしさがすごく伝わってきたね。
セーターの毛玉を取れと神のこゑ (2011年12月7日)
紗希 「よく生きよ」とか「隣人を愛せ」とか、立派なことでなく、「セーターの毛玉を取れ」。この落差が面白いね。
る理 ちっぽけな啓示だよね。大いなる神の命令をこなす小さな自分。
華子 この句の時点ではこなしてないんだよね。ずっと、毛玉が気になってる状態。
紗希 毛玉だらけのセーターをどうにかしたいと思っている、もうひとりの自分が「神のこゑ」をひきよせている。
あなたの眼ゆふべは鯨に似てゐたのに (2011年12月9日)
紗希 これ、いい句だね。全体の中でも好きだった。
華子 艶っぽいよなー。やっぱり眼のうるおいと海のうるおいがあるからかしら。
紗希 今は何に似ているんだろう。鯨に似てる眼って、濡れていて、やさしくて慈愛にあふれてて、まあるくて…夜の闇のなかに浮かぶそのまなざしが、海のくらがりに浮かぶ鯨の眼のように見えた。ちょっと色っぽさもある、切ない句。
る理 「のに」という措辞は、思わせぶりがすぎるような気がして、私はちょっと苦手ですね。内容は素敵だと思いましたが。
華子 なるほど。
紗希 ゆふべ、近づけた感じがしたのに、また何か違うスイッチにかけかえられてしまった今朝って感じでしょうか。
華子 この「のに」は賛否両論あるだろうけど、「のに」からまた近づくかもしれない希望があまりしなくて、クジラの住む深い青への憧れが強くなる気がするね。
湯冷めするからと電話を切られけり (2011年12月19日)
紗希 これも、シンプルでいいよね。
華子 既視感が否めないけどね。具体的にどこが好き?
紗希 「湯冷めするから」と切られて、電話口に取り残されている、ぽつんと感。こちらが湯冷めしてしまいそうな感じがする。
る理 電話の相手が湯上りの自分を気遣ってくれたのかなあとも思いました。相手を思いやる気持ちの正しさと、正しさゆえの遠さ、というか。
華子 あ、自分が風呂上りっている場合もあったのか・・・。
冴ゆる夜の星屑を何もてすくふ (2011年12月25日)
紗希 掬いたいと思えるほど、夜空にちらばっている星屑。
華子 不思議な感覚よね。掬うという下から上にあげる行為を自分よりもずっと高いものにやりたいと思うって。視点がぐわんと移動させられた。
紗希 「冴ゆる夜」がうまいよね。つめたさをいれることで、甘さを控えてる。冷たい光を掬うことで、ただのメルヘン、幸せな光景ではなくて、美に相対する人の性のようなものを感じられる句になってる。
る理 添えられた文章との距離感もよかったです。
笹鳴や惑星の水にごり初め (2011年12月30日)
紗希 文章の、織物をはじめたって、すごいよね(笑)。
華子 笑。なんか全体的に穏やかな文章でほっとする。
紗希 句もいいよね。「にごり」だけでなく「初め」が丁寧。にごることが、プラスのことに感じられる。生物のはじまりも、にごることだったろうしね。
華子 時の流れをゆっくり感じることができた。
る理 この句、結構好きでした。スケールが大きいのに、不思議とリアルで。にごっているはずなのに、さわやかな色彩を感じるのは、「笹鳴」のまだ幼い声と字面の妙なのだなあと。
紗希 12月30日にこの句が出てくると、循環する季節、めぐりくる新しい一年というかんじがして、ただ、俳句をつくるときに今の時点だけをよむんじゃなくて、大きなものをとらえられるんだなということを気づかされたなあ。
○まとめ○
紗希 句はもちろん、改めて好きになりましたが、文章も写真も素晴らしい。独自の視点があり、ユーモアも。
る理 2011年を締めくくるのにぴったりだったと思います。なんだか優しい気持ちになりました。
華子 うん。笑いも切なさも穏やかなものだったね。私こういう穏やかなひとになりたい。
紗希 いい句が読めるのが一番の幸せ、と思う気持ちを、杉山さんは、すっすっと満たしてくれます。
華子 そうね。お願いして本当よかった。でももっともっと読みたくなる方だね。
紗希 杉山さんは、たてつづけに3冊句集を出したことでも話題になりましたが、そのうち出されるだろう次回の一書が待ち遠しい一人です。
(次回は、関悦史 「もはやない都市 読まなくてもよい書物」、松本てふこ 「飲み代がないのでCDを売ります」をよみあいます。)