紗希 すいません、久しぶりの「よみあう」です(笑)。
る理 そうですね(笑)。
紗希 気が付けばまた一年。
る理 そうそう、去年も、一周年を記念して、一年分の「つくる」、みなさんに寄稿していただいた作品を、スピカ編集の三人でよみあったのでした。(「つくる」をよみあう)
紗希 もう二周年なんだねー。三年目も、一緒にできることを、見つけて、企画して実現していきましょ。
る理 そうですね。「つくる」はスピカ当初からの企画で、毎月一人の作家に30句ないし31句と短文、ときに写真なども添えてもらって、毎日更新で記事をお届けするというものです。毎回、ゆるやかなテーマを設けてやっていただいてます。
紗希 深夜0時、日付が変わったとき更新、なんだよね。
る理 そう、そう。これからも、この人にぜひお願いしたい!っていう方に当たって砕けろでお願いして、連載していただけるように、頑張りたいと思います。
紗希 ま、とりあえず、この一年の「つくる」、順番によみあっていきましょ。華ちゃんは、今回はお休み、後半から一緒によみあいます♪
る理 はーい!
紗希 ということで、5~6月は、スピカに連載していただいた「つくる」の作品を、毎回二人分ずつ読んでいきたいと思います。
る理 磐井さんの連載は、詩客とのコラボって感じでしたね。
紗希 いや、コラボというか、乗っ取り…(笑)。
る理 御中虫さんが詩客に連載された「赤い新撰」にまつわる裏話を、リアルタイムで書いてくださいました。アンソロジー『俳コレ』(邑書林・2011年)の作品を、御中さんが斬っていく。
紗希 タイトルは、たぶん、児童文学の『五月三十五日』(Der 35. Mai oder Konrad reitet in die Südsee、エーリッヒ・ケストナー作)から来てるんでしょう。私は読んだことがないんだけど、「五月三十五日」は“何が起きてもおかしくない日”の代名詞として使用されている、ってことなので、御中虫さんへのエールというか賛辞というか、ひいては若手世代へのメッセージかなとも思いました。何が起きてもおかしくないって思ってるんだから、なんかいろいろやって驚かせてみてくださいよ、みたいな(笑)。
る理 でも、こうやって頼んだりしてるんですね。おんなじウェブマガジンやってる人間として、ちょっと面白かった。
紗希 そうだね!俳句は、全体に、恋の雰囲気をたっぷり交えつつ、という感じで。もともとロマンチストというか、かつての沖時代の句も美しいものをよく詠まれてたような印象がありました。一句目から恋の句の感じでしたね。
四月より五月は嬉し君と逢ふ(2012年5月1日)
紗希 でも、ほかの皮肉の効いた句の中にまじっていると、これも素直に「いやん!」ってとっていいのか、迷っちゃう。迷っちゃう感じが、磐井さんの狙ってるところなのかな。次の2日の句が「毒あつて美しきものあまた見し」だしね。あ、そういえば、この2日の記事で書いてた歯磨きチューブの話、おもしろかったよね。
る理 はい、あの話おもしろかったですよね。でも、俳句形式に何を詰め込んでも成功する、というのは、私にはまだちょっと信じられないかも。あ、磐井さんがそういう風に考えているというのは、納得しました。掲句も、俳句形式という容器になにか詰め込んでみる、という作り方ですよね。
紗希 四月より五月のほうが嬉しいっていうのは、そんなに理屈がなくって好きだな。五月の新緑のころ、初夏の雰囲気のほうが好きだっていうのは、あくまで個人的な感想であって。でも、四月に君と逢うよりは、五月に逢うほうが、よりわくわくする気がする。やっぱ、初夏だからかな。はつらつとした恋。
母子院に植えられてゐるおじぎ草(2012年5月18日)
紗希 「おじぎ草」を取り合わせてるから、なんか、母子院の母子がおじぎをしてる姿が浮かんできてねえ。ストレートに泣かせるというか。実際には、おじぎをしているところを描いているわけじゃないんだけど。
る理 「母子院」になにを植えるか、あるいは、どこに「おじぎ草」を植えるか。この組み合わせって無数にありそうで、ないのかもしれないなって思いました。そういう意味では、意外性はない組み合わせですよね、ささやかでつつましいようなイメージがつながって。安定した句だなと思います。
紗希 勝手に育っているんじゃなくて「植えられてゐる」のも、なんだかどこか作り物のようで切ないなあ、と。
聞かれてもふつうのくらし逃亡者(2012年5月24日)
紗希 オウム真理教の指名手配犯が、立て続けに逮捕されたのを思い出した。案外、ふつうに社会生活を送ってるんだよね。
る理 あぁ、そっか。私は「ふつう」ってなんだろう、というところにたどりつくのかな、って思いました。友達とふだん何してるのか話してて、いやいや、ふつうだよー?なんて言いながら、私のふつうとその子のふつうは全然違ったり。「聞かれても」だから、逃亡者目線ですよね。淡々と、異常な「ふつう」を語る逃亡者が思い浮かびました。
紗希 かんたんな言葉で、淡々と皮肉を言ってのけるところ、磐井さんらしい一句と思いました。
おどろくや死後も正午もさやうなら(2012年5月31日)
紗希 これがラストの句です。「君と逢ふ」からはじまって、「さやうなら」。構成もバシッと決まってるし、私は最初の一句と最後のこの一句が好きでしたね。
る理 私もこの句が一番好きでした。韻律もたのしいし。
紗希 「しご」「しょうご」と、「し」ではじまって「ご」で終わる似た音のものとして「死後」と「正午」が並べられてるわけだけど、でもこう並べられると、死後は正午みたいだっていうイコールが生まれてくるよね。死後の世界は、正午のようにピタッと時が止まったような不思議な時間だっていう。
る理 うんうん、へんな説得力がある。それはやっぱり文体というか、言い方というか、俳句形式の力なのかな。
紗希 「おどろくや」っていうのも、おどろいた(笑)。でも、死後がさようならなのはわりに当たり前だから、「おどろくや」って先に言っておくことで、おどろくべきことなんだっていう構えがこっちにできて、妙に真理をいわれているような気になる。
る理 そうですね。こう、スポットライトを強く当て直したような、熱さやまぶしさがある仕掛け。
紗希 磐井さん、一筋縄には行かない雰囲気を醸し出している人ですが、俳句はわりと素直なところがまた魅力かなと思います。
る理 あまりにも素直なので、罠がはりめぐらされているような気持ちになりますが、そう感じてしまった時点で罠にはまっているのかもしれません。
る理 黒岩徳将さんの作品です。
紗希 俳句甲子園のOBで、華ちゃんと淡路島で二泊三日の俳句のワークショップしたときも、遊びにきてくれたよね。現在大学生、スウェーデンに絶賛留学中ということで、ぜひ向こうでの体験を句と文章につづってほしいとお願いしました。あ、今はかえってきて、関西で「ふらここ」という学生俳句会を立ち上げるなどして、俳句活動にいそしんでいるようです。
る理 この菜の花畑の中の写真、はわぁーって感じでいいですよね。
紗希 スウェーデンの文化を知ることができたり、留学先のドミトリーでの生活の様子がわかったりして面白かったんだけど、いちばん興味深かったのは、彼の文章が、海外文学の日本語訳みたいになっとったことやね。日本語の文章の語順とちょっと違って、英語のような、論証していくような書き方で。ふだん、英語でものを考えたり喋ったりしていると、日本語の書き方にも影響してくるんだっていうのが、新鮮でした。
知力てふ体力ありぬ森林浴(2012年6月3日)
る理 機知の句ですよね。
紗希 知力っていうのも体力のひとつだよ、というふうに自分なりの解釈を提示している。「森林浴」の付き方がとてもいいと思った。森林浴してるときって、なーんにも考えないよね。きれいな空気吸って、木漏れ日に顔をさらして、肌にひんやりとした空気が心地よくって。筋肉を休めるように、知力もひととき休めて森林浴を楽しんでいる…森林浴らしさが面白く描かれていると思いました。
る理 「森林浴」の句として読みたいですね。上五中七のフレーズのドヤ感がどうしてもきつくなるところを、あ、「森林浴」の句か、と気づかされるというか。でもそうなると理屈っぽくもなっちゃうんだけど。
水槽のエビが共食い熱帯夜(2012年6月23日)
紗希 これ、熱帯夜のいやーな体感が、「水槽のエビが共食い」でよく表されてるよね。たしかに、あのむずむずする暑さは、エビなら共食いしちゃうような気分だなって思った。
る理 梨木香歩『エンジェルエンジェルエンジェル』を思い出しました。あ、熱帯魚が共食いする描写があって。それもやっぱり夜なんですよね。
紗希 朝、起きたら、知らないうちにエビが減ってるんだよね。その、何かが失われた感じも、熱帯夜開けの朝。
胸像の腕がダリアに触れている(2012年6月10日)
紗希 全体を見ると、一句の言葉がまだ無秩序にそこに置かれているような、その十七音で何を指し示そうとしているのか分からないといえばいいのか、統一性に欠ける句もありましたね。
る理 統一性に欠ける・・・うーん、たとえば?
紗希 この句なんかそういうところがあって、胸像である必要性、腕である必要性、ダリアじゃなきゃいけないのか、なぜ触れているのか…不条理な世界を描けているわけでもないというところで、もう少し弓を引き絞ったほうがいいように思った。
る理 なるほど。「胸像」って、ふつう「腕」ないですよね。頭と胸と肩くらいまで。だから、見えない腕がダリアに触れているんだろうな、と思いました。紗希さんの言う必要性のなさというのも分かります。私は「触れている」が効いていないかなと。というか、見えない腕が見えているという仕掛けがあまり生きていない文体になってしまっていると思いました。どこかに切れを作ったほうが、腕の不在が際立つ気がします。
LOVEと背に描きたるデモの裸かな(2012年6月12日)
バンズよりはみだす肉やサングラス(2012年6月27日)
紗希 この二句みたいに、スケッチがしっかり出来るというのは魅力ですね。デモやハンバーガーショップという現代的な素材を、描写する。たしかにLOVEってボディペイントしてそうだし、ハンバーガーショップのお客さんはサングラスかけてそう。デモらしさ、ハンバーガーショップらしさを、あるビビッドなワンシーンを切り取ることで象徴的に見せてくれる、そんな句かなと思います。
る理 マクドナルドでアルバイトしてるって書いてましたね。
紗希 肉がはみ出しているのはバンズだけではなく、肉感的な体型まで思い浮かんだのは私だけ?
る理 パティじゃなくて「肉」ですからね。あまり美味しそうに描いていないところも、人の体と結びつきやすくしてるのかも。私は、デモの句が一番好きでした。もはやお祭状態になっている「デモ」の感じを否定的でも肯定的でもなく、風景として受け入れているのが面白かった。
紗希 ということで、酸いも甘いも味わい尽くした大人の余裕の磐井さんと、青春まっただなかの全力投球黒岩くんの、対照的な二人をよみあってみました。あなたはどちらのほうが好きですか?と直球に(笑)。
る理 次回は西原天気さん・夕雨音瑞華さんの作品をよみあいます。こうご期待!
(つづく)