2012年7月21日

揚羽蝶ダム放水の音のなか

Pierrot Le Fou

大学生のときゴダール監督「気狂いピエロ」(1965年)を見て衝撃を受け、すぐさま大学をやめてフランスに渡ったという人(俳句をやる人です)を知っています。現在は60代となって、フランスと日本を行き来する仕事を続けておられます。

他人の生き方に憧れるには年をとりすぎましたが、この人の45年前の決断と行動には、とても強く憧れます。

でも、その当時、もし私が彼の友人だったとしたら、「バカなことをするもんだ」と思ったにちがいありません。いま歳月を振り返ってみて、いろいろな局面でバカをできなかった自分が残念で悔しくてたまりません。

ベートーヴェンの「運命」がチラッととびこんできたり、オアシス OASIS という壁の落書の OAS(アルジェリア秘密軍事組織)だけが赤い文字になっていたり、映画のラストで LART(芸術)と読めた文字がすぐ LAMORT(死)に変わったり(『恋人たちのいる時間』で道路標識の DANGER(危険)という文字にキャメラが近づくと ANGE(天使)になるといった《お遊び》を想起しよう)、第1次世界大戦のフランスの撃墜王で1917年にベルギー上空で撃墜された有名な飛行士ジョルジュ・ギヌメール(…中略…)の名が出てきたり、その他、ニーチェの「悲劇の誕生」やらジョルジュ・バタイユの「エロチズム」やらシェイクスピアやらの〈引用〉らしきものはまだまだ無数に形を変えて未確認飛行物体のままちりばめられているのだが……。

寺尾次郎・山田宏一(構成)「〝気狂いピエロ〟における《引用》についての二、三の考察」:「気狂いピエロ」1983年リバイバル上映時のプログラム所収