たぷりたぷり潮容れて突堤老いゆくか  赤城さかえ

たぷりたぷりと、突堤の内海に潮が満ちてゆく。内海を抱くように、突堤は海にその体をさしだしている。蕪村の「ひねもすのたりのたりかな」に比べると「たぷりたぷり」は単純なオノマトペだが、突堤の中の波のたゆけさが感じられる。波にさらされ続ければ、もちろん突堤は老いゆくわけだが、ここで赤城は単純に突堤を表現したいわけではないような気がする。この句を読んで、たぷりたぷりとしずかに満ちてくる内海の景色を思い浮かべ、ああこれが老いなのかもしれない、とふと気づく。そんな感覚をも、この句はあらわしている。

季語はない。イメージの中で、たぷりたぷりと満ちてゆく突堤を眺めていると、だんだん季節とか時間帯とかいったものが分からなくなってきて、その風景が、永遠のようにも一日のようにも思えてくる。

「俳句研究」昭和42年8月号、赤城さかえ特集より。