2012年7月26日

キャンペーンガール蠛蠓を手で払ひ

コンテクスト

「走るは動詞である」。

さて、ここで問題です。「走る」の品詞は?

ヤコブソンかチョムスキーか、何で読んだのか忘れちまいましたが、いかがですか、おもしろい例文でしょう? 文法の話題で出てきたのだと思いますが、これ、あえて、コンテクストということを思うのです。

語だけ取り出して考えてもダメなことがとても多い。その語がどんなコンテクストにあるのかが重要。「走る」を辞書で引けば「自動詞」と書いてあるだけ。そこに留まっていくら考えてもムダです。

コンテクストは「文脈」と訳されますが、それだとライン的で、一文の中の語、という場合、それでいいのですが、例えば歴史的・社会的背景などもコンテクストとなりうるので、それだと「脈」とはすこし違う。そのままコンテクストと呼んでおくほうが好都合です。

もう少し言うと、「むきだしの乳房」は、それがベッドにあるのか、国技館の土俵にあるのか、モルグ(死体安置所)にあるのかで、意味も様相もまったく違ってきます。これがコンテクストってことですよね。

さらに言えば、コンテクストは多層的で、ベッドや土俵やモルグもまた、コンテクストを持っていて、同時に、たいていは多義的で流動的です。

これ、俳句にも、もちろん当てはまる。例えば「バナナ」がどんな季語か、西瓜は秋の季語だよ、ってな話にも、コンテクスト感覚が必要だってことです。

季語に限りません。一語を取り出して、あるいは一句を取り出して、コンテクストを抜きに考えても、不毛なことが多い。

コンテクストのセンスは、俳句のような(短い)かたちだと、とりわけ重要です。明示的でないコンテクストをしばしば膨大にかかえるという意味でも、また、コンテクストを裏切る・微妙にはずすという俳句的手法の点でも。