2012年7月30日

ふるさとのベープマットよ山並よ

貧者の遊び

発想が貧しくても、感じのいい句はつくれます。これはうれしいことです。発想の貧しい人の書く小説なんて読めたものではありません。その点、俳句は、いいです。発想貧者にも愉しめる文芸。

技術が乏しくても、人に好かれる句が何かの拍子で出来たりします。技術のない音楽家の悲しみに比べたら、俳句愛好者は全員ハッピー。

情報貧者にも、俳句は作れます。まわりの物や事を見るくらいは出来ます。情報をきちんと扱えない社会科学者の書いたものなど目も当てられませんが、俳句はそれなりのインプット・アウトプットでオーケー。

俳句にはオカネがかかりません。鉛筆と紙片(チラシの裏とか)さえあれば遊べる俳句は、正味貧しい人間の味方です。

多忙で暇な時間がないという人でも、俳句をつくったり読んだりはできます。短い空き時間を利用できる俳句は、余暇貧者にも親切で優しい。

俳句はこのように、とてもありがたい遊びです。

(発想や技術、情報の豊かな人だけが、オカネをもっている人だけが幸せに暮らす、そんな社会は、まちがっています。発想が貧しい人、技術や情報の乏しい人、オカネのない人、暇のない人でも、幸せに暮らせるような社会が、良い社会です。俳句は、私たちみんなに幸せになるチャンスを与えてくれている。素晴らしい遊びなのです)