2012年11月7日

枯原の拒絶を感じつつ歩く

俳句を作るよりずっと以前から、私は高村光太郎の詩を愛読していた。そして彼の歩んだ人生に強い憧憬を感じ、彼のような恋愛の在り方、結婚の在り方を理想と思い描いていた。折角ならば、この人に因んだ所から俳号を考えられないだろうか。そう思っている内に、脇に置いてあった『智恵子抄』の「智」の一字が不意に目に飛び込んできた。光太郎の「光」と智恵子の「智」。それらの漢字をばらばらにして再度組み合わせてみると、何となく人の名前らしくなった。それを小さな紙切れに認めて藤田湘子に見せに行った。いいじゃないか。即答だった。二〇〇〇年三月号、偶然にも私が初めて「鷹」の巻頭を頂いた号から、私の名前は本名ではなく今の俳号で印刷されるようになった。