雨粒に枯葦の茎するどかり
「鷹」では総合誌から依頼を受けると、まずその受諾の許可を藤田湘子に仰ぐことになっていた。そして藤田湘子の選を経たのちに、作品を雑誌社へ提出するのが通例であった。しかし当時の藤田湘子の放つ空気は、私を寄せ付けるものでは全くなかった。いくつかの依頼は、小川軽舟当時編集長に相談をして藤田湘子に黙って受けた。しかしどうしてもそうはいかない大総合誌から、ある日依頼が舞い込んできた。もったいないことは百も承知だった。しかし藤田湘子に伺いを立てることなど、その時はどうしても出来ることではなかった。懊悩の末、私はその依頼を断ってしまった。結果的にその瞬間、私の俳壇への道が閉ざされた。