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SSTスクラップ「ハードボイルド」前編
K 「今回は「ハードボイルドの探偵たち」特別座談会として「榮猿丸ハードボイルド俳句の魅力を語る」を行いたいと思います。みなさんには名場面を挙げていただき、その素晴らしさをおおいに語っていただきましょう。」
T 「わたしはやはりこれだね。〈剥ぎ取りて革手袋や裏返る〉。まあ革手袋といったらトレンチコートと同様、ハードボイルドの世界ではありふれたアイテムだが、彼の作品に登場する探偵は毎回この、素早く手袋を脱ぐシーンが特に魅力的でね。この場面がない作品は彼の作品とはもう言えないだろう。手袋もね、ただつけてるだけじゃダメなんだよ。」
O 「アイテムだけ全身固めてもだめですよね。情感がないと。」
T 「そう、情感。ハードボイルドは単純にタフで非常なだけではないのだよ。」
K 「『新鋭俳人アンソロジィ2007』という本のなかで彼は、ハードボイルド俳句とは「純粋な欲望でありかつ刹那的である」というような発言をしています。彼もまた長いことアイテム重視の作家だと思われていましたが、改めて読んでみてもそれだけではない、感傷的な一面もありますね。」
O 「それがよく出ているのが〈麦酒飲み弱音吐く父嫌ひでなし〉ではないでしょうか。探偵自身はビールではなく、ギブスンのダブルを飲んでいるわけですが…確か回想シーンでしたよね、これは。」
T 「もしその場で隣に父親がいたとしても、黙りこくって飲んでいるだけなんだろうけどね。事件のさなかに父親と同年代の男と出会って、安酒を飲みながら弱音をこぼすところを見て、自分の父親のことをふと思い出すんだ。もう何十年も声さえ聞いていない、父親のことをね。」
K 「家族のことはほかには一切出てきませんし、かなり珍しいシーンでしたね、これは。」
O 「情感と言えばもうひとつ、ぼくは〈雨月なり後部座席に人眠らせ〉を挙げます。雨のなかを愛車で走っているシーンですが、後部座席には執拗な追跡を逃れ、疲れ切って眠ってしまった女性を乗せています。音楽などはかけず、静かな、雨の音だけが聞こえている。」
T 「〈雨月なり後部座席に人眠らせ〉…暗闇の雨のなかのクライスラーか。光ない中の光だな。」
K 「『バック・シート』の有名なシーンですね。この作品には素晴らしいハードボイルド俳句が多く、彼の代表作とも言われています。」
O 「『バック・シート』には女性との名場面がたくさんありますよ。」
T 「彼の描く探偵は、女性に関しては「結婚する理由がない、ただ口説けばいいだけだ」と言い切るが、〈別れきて鍵投げ捨てぬ躑躅のなか〉なんか、いい場面だった。合鍵さえも、受け取らずに投げ捨てる。街の植え込みのなかにだよ。真似できんな。」
(後編へつづく)