第一回
はじめに
神野 今日は、高柳克弘さんと、福田若之さんに来ていただきました。
高柳 あ、二人はゲスト扱いなのね。
野口 そんな感じです。よろしくお願いします。
高柳 名前はなんていうの?HPの。
野口 スピカといいます。
高柳 ふたご座?
神野 おとめ座なんですよ・・・おとめ座っていうと、ちょっと恥ずかしいなって話はしてたんですけど・・・
高柳 二番手の案はあったの?
野口 えっと、「あかつき」・・・色の名前とか、動物の名前とか考えてて、その流れで星の名前を考えてて・・・高柳さん、なんでにやにやしてるんですか?
高柳 いえいえ(笑)「あかつき」よりはいいよね。
野口 あとは、「夜の鹿」。
一同 「夜の鹿」?!(笑)
神野 「赤い鹿」とか。だんだん、共産党の過激派みたいな名前になってきて。
一同 「赤い鹿」はやばい・・・(失笑)
野口 人に依頼できない。
神野 ほかにいい名前ありますか?今ならまだかえられます。
高柳 「バキューム」は?「perfume」みたいに。
一同 えええええ!(驚)
高柳 昨日から、ぼくは「ムカデ人間」のことで頭がいっぱいなんだ。
一同 ムカデ人間?!
高柳 最近、ハリウッドで話題になってるホラー映画で、「羊たちの沈黙」「ジグソー」に続く衝撃って銘打たれてるんだけど・・・
福田 えええー、ちょっとうさんくさいですよ(笑)
野口 B級色・・・
高柳 要するに、三人の人間を、つないでしまおうっていう話なんだよね。むかで状にしようっていう狂った博士の。縦に三人、口から肛門までをつないで、最初に食べた人のものが最後の人のところまで届くようにしたいっていう。
福田 ええええ、なんのために(笑)
高柳 どうやら、説明を見ると、博士はベトナム戦争で、シャム双生児の分離手術をしてた、と。人間を離すことばかりやってきたので、今度はつなぐことをやってみたい、と。
野口 興味そのものは純粋ですね。
神野 「ムカデ人間」状態になってる映像は、すでに公開されてるんですか?
高柳 一瞬だけかな。そこがメインだからね。それまでは、博士に閉じ込められた三人が、必死に逃げようとするところを撮ってるみたいなんだけど、結局、やっぱりなっちゃいました、みたいな。
野口 なっちゃうんだ。てことは、口は肛門につながる・・・
神野 誰が前になるのか、順番でもめそう。
野口 真ん中しんどそうだよね。
高柳 日本人の男性が、三人のうちの一人なんだよね。あとは普通のハリウッド美人二人。
野口 いろいろ難しそう・・・
高柳 ほら、三人ってとこが、(スピカと)被ってるじゃない。
神野・野口 ええええええ!そういうこと?!
瓦礫みな人間のもの犬ふぐり 高野ムツオ
(『俳句』角川学芸出版、2011年5月号)
神野 この「よみあう」という企画では、座談メンバーが一人一句ずつ、ここ数カ月から一年の間に出た本もしくは総合誌の作品の中で、これは名句だ、もしくはこれを俎上に挙げたいというものを、一つ持ち寄っていただきます。そして、句について、自由に語り合ってもらおうというものです。世に発表されるたくさんの句の中からくみ上げて、その一句を読むことで、句が長く長く生きてゆく、その第一歩になればと思っています。では、高柳さんの推薦作からお願いします。
高柳 角川「俳句」2011年5月号の、高野ムツオさんの特別作品「春の虹」からです。「俳句」5月号の特集自体、「励ましの一句」ということで、東北の被災地へのエールの一句を集めてるわけだけど、要するに、被災地ではない地域から、被災地の人に向けて書く、っていう体裁をとってるわけです。高野さんの句は、被災地の当事者、実際に被災した高野さんが情景を句にまとめたっていうところでね、ちょっとやっぱり、句の背景というか、立ち方が違ってくるんだろうけどね。でも、当事者だから必ずしもいい句が読めるってことはね、冷酷な話だけど、それはまた別の話だから。体験したからといって、それが即座に句の価値につながるわけじゃない。そこは冷静に見なくちゃいけないと思ったんだけど。
野口 うんうん。
高柳 犬ふぐりの句は、たしかに被災した苦しみ、辛さみたいなものが、高野さんの作品の一連の他の句には充満してるんだけど、その句には、冷ややかな視線というか、そういうものが感じられるところがいいと思いました。人間にはもちろん、自分も入ってるんだろうけど、人間の視点よりは一段高い所にいる、たとえば神様みたいなね。そんな視点から眺めているようなところがあるかね。今回の地震は、地形が変わるなど、自然自体も、影響を受けたわけだけど、一番打撃を受けたのは、人間だった、っていうのは、ひとつの新しい見方だと思います。
神野 ほかの動物ではなく。
高柳 そう。巨視的な観点から見たら、地球の運動の一事象に過ぎないっていう、そこの冷ややかさをうまくとらえてるんじゃないかな。
神野 犬ふぐりは?
高柳 瓦礫の死のイメージとの対比なんだろうけどね。そういう二つの重層構造があるからこそ、巨視的な視点というのが支えられているかなと思いました。ただ瓦礫だけ、ただ生命力だけだと、世界の一面しかとらえられてないけど、二つ出してくると、やはり一句の奥行きが生まれてくるよね。天と地のように。
福田 僕はその冷ややかな視点っていうのが、どうなのかなっていうところがありました。うまく言えるかどうかわからないんですけど、もっと言いたいことを言っちゃってもいいんじゃないかと。巨視的に視るっていうのが、本当に言いたいことなのかなってところで、ちょっとだけ疑問が残っていて。
神野 季語が最後に「犬ふぐり」だからそうなるのかな・・・「瓦礫みな人間のもの」という感慨自体はそこまで、神様らしさがあるとはいえないけれど、「犬ふぐり」という小さなかわいいものを対比させたことで、冷酷さが極まるような。ひいた見方になるのかな。
野口 さっき福田くんの言った、「本当に言いたいこと」っていうのが、このこと(句の内容)なんじゃないのかな、って。本当に言いたいことっていうのが言えてるっていうか・・・逆にこの句は分かりやすいという、そういう気がしました。巨視的なものの見方っていうのも見てすぐ分かるし、冷ややかな目線ってこともすぐ分かる。わりと思いはこもってる気がしますけどね。もう少し、「人間のもの」っていう見方自体が、人間主体の考え方だし、気持ちの入った句なんじゃないかなと思って読みました。
神野 瓦礫というものは、人の住んでいたかけら。そんな思い出の断片としての瓦礫が、ただのモノには見えない、という感じがしました。
野口 瓦礫が人間のものなんじゃなくて、人間のものだったものが、瓦礫になってしまったってことですよね。
神野 それを、こういう言い方にしてる。
高柳 高野さんの他の作品は、やはり思いが強いよね。叫びに近いような感じかな。
神野 高野さんの句だと、ほかには「陽炎より手が出て握り飯摑む」とか好きですね。欲望が、手のかたちをして、ぬっとあらわれるような。
高柳 この一連の俳句自体が、震災を離れても読めるし、そう読みたいなというところもあったのでね。瓦礫の句は、ある程度、地震のことを背景に、いまは読まなきゃいけないんだろうけど、それを離れても、評価できる句だと思いました。
福田 僕がぐっときたのは、「地の底にまで沁みてゆけぼたん雪」。ぼたん雪っていう言葉の力みたいなものがあるのかなって思わせる句です。
神野 ぼたん雪って、ほかの雪に比べると、あたたかさとか親しさを感じるよね。こういう大きな災害が起きたとき、被災地ではないところで、被災したかのような句を詠むということをするとき、やはり倫理のようなものに関わってくるのでしょうか。これは、普通、俳句におけるフィクションがあって、妻がいないのに妻の句を詠むとか、父が死んでないのに亡父の句をつくるとか、そういうものと、違う問題のような気がするんですよ。被災を詠むときの、実体験の有無というのは。
高柳 そうなってくると、もう、言葉の価値という問題ではなくて、倫理の問題になっていくよね。文学からは離れていくんじゃないかな。そこらへんは厳しく見ないといけないんじゃないの。
神野 テレビで見たものを詠んだ震災俳句はだめ、という言い方をしますが、それは、テレビで見たものを詠んだという印象を読者に与えてしまうような震災俳句は作るな、ということですよね。
高柳 テレビで見ても、リアリティのある句を書ける人はいる。