蟻地獄今日も二合の米を炊く  江渡華子

この句のほつれめは「蟻地獄」にある。
華子さんの俳句には夫を詠んだ俳句がたびたび登場し、
 雑煮へと餅沈めては夫呼ぶ
 すごろくのゴール互ひに譲らざる
 ふたつめの柏餅嬉しさうな顔
など、基本的に幸せそうである。

しかし、そこに掲句のような句が挟まってくると、「結婚生活というものはなかなか凄みのあるものなのだろうな」という感慨を抱かずにはいられない。
「今日も二合の米を炊く」というフレーズにはいかようにでも幸せそうな季語をつけられそうなものだが、作者は「蟻地獄」を選んだ。そうすることで、「今日も」の「も」が永遠すらをも感じさせて、なかなか空恐ろしい。
「しかしもちろん、我々が米を炊いて食べることと同程度に、蟻地獄にとって蟻を食べることが自然な生の営みであるのは確かだ」、というような詠みもできるといえばできるが、どちらかというと、作者の中で「蟻地獄」という言葉と「今日も二合の米を炊く」ことがぱっと接続されてしまったと直観的に考えたほうが面白い。そんなはっとする句を時に作ってしまうあたり、作者の「ほつれ」はなかなか業が深い。

(「暑い」2012.08より)