海へ降る雪に心を与へやう   野口る理

る理さんの俳句の特徴の一つは、作者が俳句の中でいわゆる神の視点に立っていることを明示した句を作ることにある。俳句の中で作者が神の視点に立つことは、実はかなり当然のことである。俳句の中に世界があるとすれば、作者はその全景を見回せる位置に立って言葉を構成するという意味において、神の視点そのものに立っている。問題となるのは、それを明示するか否か、あるいは、その世界の大きさがどのようなものかという問題になってくる。
揚羽蝶おいらん草にぶら下がる   素十
一般に写生俳句において、作者は神の視点に立っていながら、そのことを明示することはない。写生俳句は作者が神ではないということを偽装することで、世界に余白を生じさせ、その大きさを装っている。
掲句において、そこに描かれている世界は「完結している」という意味において非常にミニマムである。視点の抽象度が高すぎることで、読者にも句の全風景が見渡せてしまうからだ。
しかし、世界が小さいことは句の価値が小さいことをもちろん意味しない。この句の面白さは、句が完全に作者/読者の思考の制御下にあることにある。る理さんの俳句にプライベート感が薄いのは、制御された世界におけるリアリティの薄さに起因するのかもしれない。

「一指」(2013.2)より。