同じ章に収録されている「蝉たちのこなごなといふ終はり方」は、
もうすでにこなごなに絶えてしまった蝉を見つけたという立場であるが、
掲句は、自らの手で「潰す」という踏み込んだ関係性が生まれているところが面白い。
羽蟻はびっしりと群生することが多いが、それでは羽蟻の形が掴めないため、
この句の場合、一匹の「羽蟻」と対峙していると読みたい。
「羽蟻」の「かたち」つまり羽や胴体や足や頭を潰せば、「羽蟻」を潰したことになるだろうか。
いや、そうではない。羽蟻の本質は「かたち」にはない。そう思ったからこそ、潰し続けているのだ。
「かたち」を失った羽蟻の残像もとい本質を追いさまようやるせなさ。
残酷さや悲しみというよりも、なにか手の届かない真理を追い続ける苦しさが漂う句。
『革命前夜』(邑書林、2013.7)より。