此の世とは私たちの世泳ぎ来よ  野口る理

〈虫の音や私も入れて私たち〉は『しやりり』収録のる理の代表句のひとつ。る理はしばしば「私たち」という呼称を使う。思索的な独自の作風を確立している彼女だが、句の上には案外、自分や個人に対する思い入れが表れてこない。私という一個人に固執するよりも、人間という種族、もしくはこの世界の一構成員ということに安んずる姿勢が涼しげである。
「此の世」とは「私たちの世」という定義は、当たり前のようでいて、改めて力強く呼び掛けられると、確かな手触りを感じる。私たちのところへ泳いで来いと、新たな命に対して呼びかけているのだ。出産という自らの体内から取り上げる行為は、今までゼロ距離だった母子に距離が生まれること。しかし、逆に「泳ぎ来よ」という距離を感じさせる言葉で、はるかどこかから生まれてくる命との運命的な邂逅が実感としてあらわれた。
「泳ぐ」という季語をひろくひろく拡大してゆけば、胎内の羊水の記憶に辿り着く、のかもしれない。

俳誌「白茅」2014年夏号、特別作品「新生児」より。出産したばかりの母の作品として、初々しく、また涼しげな7句が並んでいる。

うつとりと胎脂乾きて汗を知る

は、ほんとうにはじめて知った、「此の世」の汗。

天使魚の翻るごとげつぷせり

美しいげつぷ。