夏痩せてあしたゆふべの紫雲かな 外山一機

美しい句だ。「あしたゆふべ」というゆったりとしたことばが、句の中に流れる時間を統べている。紫雲をぼんやり見遣っていたら、気が付けば朝が夕べになっているような、体力が落ちている夏の一日の時間の流れ方。なんとなく山国の風景を思うのは、雲のほかに移ろいゆくものがない場所のほうが、より、取り残された感じが出るからかしら。

「鬣」2014年9月号より。