週活句会合同作品集「WHAT A面」をよみあう

紗希  久しぶりの「よみあう」でーす!

る理  いぇーい!!

華子  ほんと、いつぶりだろうねー。月日過ぎるのがあっという間で、私達全員、随分と生活に変化あったねぇ。えっと、今日はなにをよみあうの?

紗希  今日は「WHAT」という若い俳人たちの合同作品集をもってきやした。

華子  ほほう。

紗希  「週活句会」というのは、松山で発行されている雑誌、ハイクライフマガジン『100年俳句計画』の企画のひとつとして、2012年9月にはじまった、20代以下の若者向けのインターネット句会だそうです。「インターネット週末俳句活動句会」、略して「週活句会」。メンバーによる合同作品集「WHAT」は去年vol.1を発行、今年2014年7月にvol.2が。今回はその2号を取り上げます。参加者は26名ということで、A・B2冊にわかれてます。

る理  たくさんいますねえ。

華子  関西の大学生の俳句会「ふらここ」所属の人や、俳句甲子園出身の人が多い感じがするね。

る理  見開き2ページに、1人15句掲載、って体裁。薄くて正方形な本です。

紗希  とりあえず、前から順番にさくさく読んでいこう!

WHAT

「びつしり」堀下翔

卒業式のあひだ職員室が空

紗希  「から」なんだろうけど、なんか「そら」って読みたい感じもする。職員室が、そら。からっぽの職員室の窓ぜんぶに、青空がある。

華子  「そら」か。斬新だね。でも卒業式だから、晴れた青空が似合うものね。色々な式典が学校行事だとあるけど、卒業式だからこそ、職員室に誰もいないっていうのがよくわかる。きっと、他の式のときは、お留守番の先生いそうだし。

る理  もちろんその日は職員室以外も概ねからっぽなんだろうけど、いつも誰かがいる職員室だからこそ見えてくる景。ぎっしりいるはずの体育館すらもすかすかしている感じがするのは他の行事の日じゃなく「卒業式」だからこそなんでしょう。

クリスマス時計に数字たくさんあり

紗希  クリスマス、寝る時間が気になって、ついつい時計みちゃう感じだよね。たしかに数字たくさんあるなって、妙なところに気が付いた。でも、「あり」が間延びするかな。

華子  アナログでもデジタルでも、確かにそこに数字はたくさん存在するものね。なるほど。でも、そっかー。私あんまりクリスマスと時計のつながりは共感できない(笑)寝る時間を気にするのね。

る理  年末のカウントダウン感も伝わるし、「クリスマス」という季語に寄り添うように言葉の幼さを強調してるのも分かるんだけど、時計に数字がたくさんあるという発見・気付きとしては私はそんなに楽しめなかったかな。

「茶屋に入る」森直樹

廃線の先へ行くバス山笑ふ

紗希  電車がなくなったあとは、バスがそれをカバーする。その事実を、コンパクトにまとめてると思いました。「山笑ふ」も、さみしいような、楽しさもあるような。山がバスをこそばゆく喜んでいるような。

る理  なるほど、電車をカバーしてるのか!なんか廃線なのに走ってる幽霊バスみたいなのかなって思ってました。バスのことだったら廃止って言うのかな。なるほどなるほど。

華子  山が豊かだということが描かれてるよね。トトロに出てくるような田園風景というか、典型的な田舎。まさに私の地元は電車が廃線となって、バスしかない。

反り返る革の財布や草青む

る理  草原の上で、そいやーって寝転んで遊んでる感じ。ポケットにお財布だけ入れて来るような近所の草原。お財布がポケットからはみ出てても気にしなくてね、あんまり大事にしないことでこなれてくる皮の風合い。

紗希  革の色、草の色。「反り返る」が革の特徴を掴んでるね。

華子  うーん、「反り」はわかるけど、「返る」は言い過ぎな気もする。

る理  自分もお財布も、そいやーってなってるんですよ。

華子  あはは、楽しそう(笑)

「文字」ひで

華子  本名、中田岳俊。「ふらここ」所属の大学三年生。

紗希  私はこれがよかった。

吹き抜けの底に友ゐる寒さかな

紗希  「吹き抜け」「底」で、寒さがしんしんと増してくる。友を見下ろしている距離も、心理的な寒さにつながるのかな。

華子  学生だから、この建物はたぶん校舎なんだろうなって思うと、その冷えた感じも凛としたものに見えてくるね。友達に声をかけることなく、寒さを感じている。深刻ではないだろうけど、孤独感も見えてきて、私も好きだなぁ、この句。

る理  「底」を詠むことによって「吹き抜け」の高さがぐんと出てますね。実際に見てなくても友はきっとあそこにいるだろうと思っていて、なんだか手の届かない遠さ・寒さにつながる。

紗希  あと、〈たんぽぽや全集はみな文字である〉〈この駅はもはや峰雲駅である〉〈素つ裸この世に未踏峰のあり〉、狙ってるあたりは大きいものを相手にしようとしていてよいなーと思うのだけど、このへんは「である」「あり」は要らないんじゃないかなあ。「あり」をはじめとして無駄な動詞が多いなってのは、彼だけでなく、WHAT全体的な印象かな。「である」「あり」の音数で、もうちょっと正確に書けそうな気がする。

華子  そうね。私もよくやりがちだから、反省する部分ではあるけど。あと「○○は××だ」って文法を使うのは、多用すると単調になるから気を付けないととも思う。

爆弾になり損なつた夏蜜柑

紗希  これは梶井の『檸檬』へのオマージュだね。夏蜜柑のもってるエネルギー、爆発しそうな、って言われたら分かる。

華子  形もね。ボンバーマン・・・あ、ゲームね。あ、わかるか。の爆弾のイメージだと、むしろ夏蜜柑のが形として爆弾に近い。なれそうなのに、なれなかったんだな。と憐れんでるのが滑稽だね。

る理  形とか似てるのかもしれないけど・・・、あらためて「檸檬」を選んだ梶井基次郎の偉大さを感じさせられちゃったかな。

「彫」游士

日の当るところはすでに冬の山

紗希  虚子の〈遠山に日のあたりたる枯野かな〉、立子の〈大仏の冬日は山に移りけり〉をほうふつとさせる。冬の山は寒いはずなのに、日の当たらないところではなく、日の当たるところのほうが先に、冬の山になっているというのが面白いな。じっさい、冬の山って、日が当たってこそ、って感じするよね。

華子  うんうん、日がありがたいからよく目がいくよね。いわゆるスポットライトというか。そして、日があたって目立つからこそ気付いたという。何だか、読めば読むほどいい句だ。

る理  私はちょっと説明っぽい句だなと思いました。虚子や立子の句のようなさらっと感を期待して読んでしまうからか、読後が意外とベタつく感じ。「は」とか「すでに」という措辞、文体のせいなのかな。内容は好きですが。

遠蛙かくらかくらと鳴きゐたり

華子  う、うーん・・・。摂津幸彦の〈吊し柿女陰女陰と哭きにけり〉を思い出す斬新な鳴き声だね。まぁ、遠蛙は実際に鳴く生き物だから、オマージュとかとは違うんだろうけど。蛙っていうと「ゲッゲッ」とか「ゲコゲコ」とか「グワッグワッ」とかガ行が使われるのに対して、カ行を使用することで、距離によって軽くなったと捉えることができて面白いかも。

る理  私は蛙の鳴き声句といえば山口誓子〈ラレレラと水田の蛙鳴き交す〉の「ラレレラ」なんですけど、この「かくらかくら」も結構好きです。「遠蛙」のチョイスも説得力あり。

「はこだてらいふ」中西亮太

光なき夜桜伝ふ潮の風

る理  しんとした「夜桜」に「潮の風」がきれい。でも「伝ふ」が抽象的すぎるかな。

白息と共に暮らせり八畳間

紗希  「共に」の措辞はいやだなあ。あと八畳って、まあまあ広さあるよね。

る理  そう、私も広いなって思っちゃった。四畳半とかもっと狭いほうがいいな、「白息」がより濃く活きてくると思う。

華子  そうだね(笑)両句とも抒情的だね。抒情性がある句は好きだけど、ちょっと今回の句だと、この言葉だけだと情景がとても見えづらいな。光と夜の強弱を潮の風で終わらせちゃうと、結局ぼんやりとしてしまって、何が言いたいのかわからない。八畳間も、このままだと、それがどこなのかが見えない。たぶん一人暮らしの部屋が八畳間なんだろうけど、だったら確実にそう見えるような詠み方の方がいいかな。あと抒情性をもたせるなら、句中のドラマがありきたりだとつまらないってのもある。

「昔は獣医になりたかった」のぶを

春菊や未だラジオのある家庭

紗希  春菊の懐かしい感じと、ラジオの昭和っぽさが、よく合ってる。ラジオ聴きながら、春菊茹でたり、食べたり。

華子  未だって言われちゃうのね。。中高時代、夜中結構聞いたけど。

る理  ラジオって家で聞いたことないです。車で、ごくまれにつけてみる、って存在。

華子  まじか!!私、今も聞くよ?あと災害時活用できるからおすすめよ?って、脱線だね。ごめん。春菊という野菜がしょっちゅう食卓にあがるものではないから、家庭という日常のものとの距離感がちょうどいいなと思いました。

る理  「家庭」ってまとめ方が、おおざっぱなようでリアリティがあって面白いですよね。

しまうまの背筋伸びゆく夏銀河

紗希  こういうのどうですか。動物系俳句。しまうまと夏銀河をかけあわせると、涼しさが出ていいなーって思うけど、「背筋伸びゆく」がいまいち決まってないような気が。「ゆく」って経過を出すほど伸び続けんやろ、と思う。

る理  縞がほどけてくイメージで読んだけど、単純に背筋が伸びるのかな。だったら背筋曲がってる暗いしまうまのほうが見てみたいかも。動物の句って特に、がっつり写生しなきゃ成功しにくいですよね。雰囲気や言葉だけで作られてるのは荒が出やすいかも。

華子  紗希ちゃんの句にはよく動物が出るよね。自分はあまり詠まないけど、好きだよ。動物俳句。サバンナの星はさぞかし綺麗だろうなと思う。動物園の動物じゃなくて、野生であることも背筋がぴんとしてるってことにはいいかも。でも、たしかに「ゆく」が必要ないなと私も思った。背中だし。きりんの首ならまだわかる。

月涼しアンモナイトのいる予感

紗希  これも「月涼し」と「アンモナイト」は化石の冷たさとか長い地球の歴史とか思わせる取り合わせで好きなんやけども、「いる予感」がどうなんだろ。

華子  そうねー。空と地層とで高低差も気持ちいいね。予感で曖昧にしたら凛とした空気がもったいないね。

る理  「いる」ということで、生きているアンモナイトを思わせるところは面白いと思いました。化石というより、生きてて動くアンモナイト。むしろ、化石のイメージなら「いる」だとおかしい気がする。

「梅雨晴」ほりぴー

剥製のやうに付きたる鹿の角

紗希  生きてる鹿を、剥製にたとえる発想の転換。イロニーがあるね。

る理  この句面白いなって思ったんですけど、でもこれだと「角」だけが剥製みたいじゃないですか?もしくは、角の付き方が剥製のよう、というか。「付きたる」に違和感があるのかな。鹿そのものが剥製っぽいんです、もちろん角までもね!という風に読ませて欲しいな。実際そういう立派な鹿いますよね。

華子  なるほどね。気持ちとしては、剥製は見たことあるけど、初めて本物見た!って感じだよね。全然関係ないけど、私先日昇仙峡いったとき、途中の山のガードレールに猿が座ってて興奮した。野生の本物初めて見てさ。「これが!あの!!」って気持ちだよね。わかるわかる。

る理  ガードレールがさるのこしかけとは。(笑)

書きづらき成人の日のボールペン

紗希  ワンシーンを切り取った、シンプルな句。芳名帳にサインをしてるんかな。それとも久しぶりに会った友人の連絡先を聞いてるとか。そのボールペンのなかなかインクが出ないもどかしさが、20歳という社会的には半端な年齢のもどかしさを感じさせたりして。語順整えて、575にうまく嵌めてるのも、心地よい。

華子  そうだね。「成人の日のボールペン」が書きづらいっていうのが面白いね。

る理  これって、新成人の仕草とはかぎらないですよね。もう成人の日には関係のなくなった大人が、ボールペン使いながらふと今日は成人の日かーって思う一瞬が、書きづらいボールペンで書き始めちゃったとき、っていう風に読みました。

「一滴」晶美

紗希  私、この人好きだったなあ。高岡晶美さん。

る理  私の妹、ま綾の同級生です、つまり私の高校の後輩でもある。なんか嬉しいな。

掬われた金魚こっちばかり見てる

紗希  不安げな金魚の表情を「こっちばかり見てる」とさらりと。今まさに金魚と向かい合ってる臨場感が「こっち」ていう指示語で出てる。

る理  金魚はふつうの顔してるし、ほんとはあちこち見てるんだけど、人間のほうがなんか不安で金魚ばかり見てる、そんな景が浮かびました。

華子  助詞が省略されている文体が、内容にとてもあってるね。罪悪感みたいなものを私まで感じてしまう。

星月夜カルピス深く沈みけり

華子  まだ混ぜられてないってことだよね。分離した水とカルピス。星月夜だからだんだん混ざっていく感じも見えるかも。

紗希  星の色、カルピスの色だって言われたら、そう見えるときある気がする。カルピスみたいに甘い星月夜。

る理  あまーい!(笑)カルピスといえば、「おろおろした変なもの」が口から出る飲み物なので(穂村弘『シンジケート』)、甘いだけじゃなくちょっと屈折がある感じがいいかな。

万年筆こはれてにじむ秋思かな

紗希  これも「こはれて」が、秋だねえ。万年筆のインクがにじむ句はよくあるけど「こはれてにじむ」は正確な措辞だと思うなあ。

る理  秋は動かないと思うけれど、「秋思」という季語はどうかなあ。こわれちゃった、あーあ、って気持ちそのまま過ぎるのでは。

冬深く深く枕に染みてをり

紗希  枕に顔を伏せて息をしてみれば、枕の芯から、深い深い冬の匂いがした、という感じでしょうか。枕の芯まで冷えてる匂いって、あるよね。ない?

華子  あるある。衣類の深いところの匂いって、夏より冬の方が感じるよね。体感をあまり言葉にしていないけど、深い呼吸までもが伝わってくる。

る理  匂いもそうだけど、冷たくかたく感じる触感とか寝るときのふっと落ちる感じも伝わりますね。「染み」るって言葉はなくてもいいような。

夏料理盛る箸先のみづみづし

る理  丁寧でまぶしい句ですね。空間全部みずみずしい。

紗希  夏料理じゃなくて、箸先がみずみずしいってずらしてあるのが巧いね。箸も、濡れてるし、その箸使いも流麗で涼しげなんでしょう。

華子  あぁ、そうだねぇ。夏料理というか、夏の食材がみずみずしいっていうのはよくある気がするけど、箸先がそうであることで、夏料理の質感がうまくでてる。

「ピカピカ」コジマアキラ

初燕入門願い携えて

紗希  「初」と「入門」はベタづきだけど、なんか爽やかでいいね、入門願いっていういまどき聞きなれない古風なところが、初燕でちょっと新鮮味を増してるところが魅力かしら。

華子  木でできた門が見えるね(笑)むしろ、初燕みたいな昔から絵とかも描かれている鳥が出てくることで情景に無理がなくていいのかも。

る理  どきどきしてるんでしょうね、「携えて」の現場感。

刈田にて巨人は足の裏を掻く

る理  刈田がなんかチクチクしてるのかな。刈田に立ってる巨人ってシュールですよね。

華子  「刈る」と「掻く」の軽い音のリフレインを狙っているのかもしれないけど、「巨人」がわかりづらいかな。

くるくると踊る歯車働き蜂

紗希  これは社会の「歯車」=「働き蜂」(としての人間)、という喩が、陳腐。季語で意味生まれて、解決に落ち着いちゃってる。

華子  それもそうだけど、歯車の説明として、「くるくると踊る」もあまり新鮮味がないかな。

「臓器」ローストビーフ

紗希  ローストビーフって(笑)。

る理  本名は、羽田大佑さんだそうです。

紗希  吹田東高校OBだね。この人も、いい句が目立った。

新緑や捕られれば死ぬチェスの駒

紗希  将棋は捕られても死なずに、また相手側の戦力として使えるんだったよね。新緑の生命感と、死んじゃうチェスの駒。でも、チェスの駒だから、もともと無生物なんだけど、その向こうにチェスを生み出した文化があって、その文化圏では生身の人間が実際に〈捕られれば死ぬ〉だったりしたわけでしょう。

る理  なるほど、生身の人間にも重ねて読めますね。生きて戦うチェスの駒の躍動感も感じました。

華子  ハリーポッターの中にでてきた「魔法使いのチェス」を思い出すわ。

紗希  句の形もきれいだよね。

冬のクレヨン誰の肌とも違ふ肌色

華子  肌色って、最近は色の名前として使用されないんでしょ?まさに、この句のような理由で。

る理  ペールオレンジとか言うんでしたっけ。この句、人種の差レベルまで広げて読むより、クラスにいる人たちレベルでもこの色に該当する肌の色っていないね、誰の肌のデータやねん、って内容なのかなと読みました。

冬の虹生涯知らぬ生理痛

紗希  男の人が詠む生理痛の俳句、はじめて見たかも。

華子  私も。

紗希  この男の人には、冬の虹のように遠く美しく冷たいものとして、生理痛の痛みがある。ほんとはもっと痛いんだけどね。美化されるのも、悪くないかな。

華子  「生涯知らぬ」って、事実そうなんだけど突き放された感じがあるよね。冬の虹のように、ひやりと冷たい。決して鋭い痛みではないから、丸みのある虹というのがちょうどいいね。

る理  たぶんこの作者、この痛みを味わってみたい気持ちがちょっとあるんじゃないかな。私は生理痛ほとんどなくって、辛いよねーって話になるとき、気楽なんだけど疎外感も少ーしあるんですよね。

華子  へー。うらやまし。でも陣痛味わったんだったら充分よ(笑)

カクテルのオリーブが邪魔春嵐

紗希  マティーニですな。あれ、どのタイミングで食べればいいのかな、邪魔だなあ、と思いつつ、飲んでる。オリーブのみどりと、春嵐のももいろな感じが、きれい。

華子  私食べながら飲んじゃう。でも、邪魔だなって思いながら飲む人ってきっと結構いるよね。春嵐、確かにいいね。景色と自分の間に嵐というフィルターがあるというのが、マティーニで酔っている感じにリンクしてる。

「吠ゆる胸」川又 夕

紗希  セクシー路線ですね。

新妻の乳房あらはにして胡蝶

紗希  ちょっとヤンキーぽいと思うのは、乳房×蝶でタトゥーっぽいからかな。

華子  あはは。まぁ実際タトゥーなのかもね。情景がこれ!って確実に定まってないかな。情事にも読めるし授乳にも読めるし。

る理  景を結ばせるというよりも雰囲気を味わってねという句ですよね。そのぶん、サービス精神が前面に出過ぎてしまっている感が。

花曇何も決めずに髪を切る

華子  女性っぽい思考だね。あえてこう言うことで、いつもは決めてから切っているんだよっていう。

る理  いつもは、というより、昔は決めてから切ってた、ということかと読みました。願掛けもしなくなった、なりたい理想もなくなった、とりあえず切る、って感じ。それが大人になっていくことなのかなと。「花曇」にその葛藤が見え隠れする。

「残響」正人

納骨の日のこと桜また桜

る理  骨の白さと桜の淡さ。「桜また桜」という言い方によって、あの日のことがまた遠ざかっていく感じ。

紗希  「桜また桜」っていうのは、桜並木を歩いていて、桜の木がある、また桜の木がある、って感じなのかな。それとも、花吹雪また花吹雪、ってことなのかしら。ちょっとわかりにくいのが気になるけど、納骨の日のことを今となってはよく思い出せない感じが、このぼんやりした措辞で出ているといえば出ている。

華子  おっしゃる通りかと。すべて言われた(笑)

はくじやうな色して花は蟻を吐く

紗希  下五がどうなんだろう。桜の花びらが「はくじやうな色して」るってのは、たしかに思ったよりピンクじゃなくて、白々としてるなって思うから、いい見立てだと思ったけど。

華子  そうね。蟻を吐くからはくじょうってなってしまうと、あぁ、そうねってなるだけになってしまうから、もったいないかな。

る理  「花」は桜とは読まなかったな。「蟻」が出入りするような夏のあざやかな花の色を思いました。「吐く」ってしちゃうと言葉の上だけで作ってる感じ。

華子  まぁ、でも「花」は通常桜をさすものね。でも、る理ちゃんの言うとおり、蟻が出てくるのって桜だと想像しにくい。

「アヲクサク」ゆまるばたこ

紗希  この人は、この句が抜群にいいと思った。

佐保姫の飼ひならしたる鹿に会ふ

紗希  春の女神、佐保姫が飼いならした鹿、私も会いたい。佐保姫に会うんじゃなくて、その眷属の鹿に会うってのも、物語の途上感があっていいな。

華子  鹿が、女神が飼いそうだという動物としてちょうどいいね。案内してもらえそう。

る理  ふつうに飼ってるんじゃなくて、もうすっかり手懐けている鹿。なんとなく、もののけ姫をイメージしました。私も会いたいなー。

(次回は、週活句会合同作品集「WHAT B面」をよみあいます。)