キリストは馬小屋で家畜や農夫らに囲まれて誕生したと描かれることが多いように、
「クリスマス」と「馬小屋」の組み合わせは、いわゆる、つきすぎである。
しかし、それをあえて貪欲に詠むところに、三鬼の自由さがあるのかもしれない。
この馬小屋は、キリストが生まれるような馬小屋ではなく、ただの馬が住むただの馬小屋なのだ。
当たり前のことを言ってのける頽廃的・現実主義的ポーズ。
定住する馬をあえて詠むことで対比される、自身の漂泊感、デラシネ性。
それでも馬のあたたかさが残る。
『現代俳句の世界9 西東三鬼集』(朝日文庫、1984)より。
昨日は、現代俳句協会青年部勉強会「読み直す新興俳句 西東三鬼」でした!
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