石蹴りの石消え赤鬼じーんと来る  坪内稔典

人間と仲良くなりたいと願った赤鬼と、それをサポートして姿を消した青鬼。どちらが私だろうかと思うとき、やっぱり、無理なことを願ってしまう赤鬼、残されて泣くほかはない赤鬼こそが私、であるほうが詩になる。なぜなら、青鬼ははじめから物語のすべてを見通す存在であり、彼の視点からは、世界は完成されたものとして語られるほかない(宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカムパネルラの関係性もそう。カムパネルラは、はじめから、銀河鉄道の旅の結末を知っていたが、ジョバンニはそうとは知らず彼と旅をともにし、最後にカムパネルラを失ってしまう)。赤鬼の、狭められ、ゆがめられた、ちっぽけな足りない視界からのぞむ、不完全な世界こそが、そこに見えないものを希求させる。その求める心のはたらきに、詩が寄り添うのだ。

稔典百句制作委員会編『坪内稔典百句』(創風社出版 2016年5月)より『朝の岸』所収の一句。