終點の線路がふつと無いところ   渡辺白泉

わたしたちはふだん、線路というものが、「スタンドバイミー」の映画のように、どこまでものびて続いてゆくものだと思っている。でも、実際には、山手線のように循環しているわけではないので、どこかにその途切れるところがある。その終点を詠んだ句だ。来るところまで来たら、そこから先は線路がない。「ところ」という言葉で示される地点は、対象がぼんやりとしていて、どこを見ていいのかわからず、句の前で立ち尽くしてしまう。立ち尽くしてしまうのは、「ふつと」という、煙が経ち消えたような措辞があてられているからかもしれない。

昭和22年作。『渡辺白泉句集』(沖積舎・2005年10月)所収。終戦から2年。価値観がおおきく変わってしまった世界への違和をいいとめるのに、「ふつと」というさりげなすぎるように思える言葉が、案外、実感だったのだろうか。体験していない以上「かもしれない」でしか語れない戦争について、しかしやはり、考えることをやめる気にはなれない。

『KAWADE道の手帖 作家と戦争 太平洋戦争70年』(河出書房・2011年6月)が刊行された。小説、詩、短歌と太平洋戦争との間に起こったさまざまなことを、改めて、丁寧に書き出した論が並ぶ。俳句は、高柳克弘の渡辺白泉論。

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