コンチキチンコンチキチン母が死ぬ   奥坂まや

祇園祭の喧騒のなかにたったとき、呆然と、しかしはっきりと、母を失うのだということを自覚してしまった。ああ、母は死ぬんだ。死んだんだ。「死んだ」ではなく「死ぬ」という、今まさにそうだというつきつけが、とりかえしのつかないものへの悔やみや愛情ややるせなさや悲しみの、全てをないまぜにした感情を引き起こす。にぎやかな祭の中だからこそ、あふれる思いも漏れる嗚咽もあるだろう。営々とつづいてきた祇園祭には、人の生や死について自然と思い及ばされる磁場が発生しているんじゃないか。あのやさしくあたたかい燈を見遣るとき、ゆるやかに過ぎてゆく山車を見送るときに抱く、えもいえない、懐かしく寂しい気持ちは、どこから湧いてくるんだろう。

第三句集『妣の国』(ふらんす堂・2011年6月)より。

ふらんす堂のHPで、書評ブログがはじまった。

みづいろの窓

若手俳人が、ふらんす堂の本についての書評を書く、というページだ。販促の域を超えて、ひとのこころに届く書評が連なることをたのしみにしている。わたしも、この『妣の国』について書いた。

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