「見れば欲しくなる」という、人間の小さくも底知れぬ業の深さを、貝風鈴や孫の手というかわいらしいもので描いているところが、複雑で面白い。こういう稚気にこそ、人間の業があらわれる、という真理をよみたくなる。もちろん、ただ単に、きゃっきゃと興じている人を想像して楽しめばいい。でも、その向こう側に、一抹のさみしさがよぎるのだ。
以前、葉さんにお会いしたときのこと。葉さんは、とことこと近寄ってこられて、「これ、どうぞ」といって、袋を差し出した。中には、フォーチュンクッキーならぬ、おみくじおせんべいが入っていて、捻ったかたちのおせんべいの中に、ミニチュアの車やらフルートの模型やらが出てきた。私が引き当てたものには、小さな銀色の鈴が入っていた。掲句を見て、その鈴のことを思い出した。
句集『春の家』(角川マーケティング・2011年6月)より。ほかにいくつか。
大泣きの子の出で来たる春の家
吹く風にポップコーンと雀の子
はんざきの卵見に来し鬼無里村
いまにして愛や金魚の泡つぎつぎ
薄荷飴四万六千日も雨
秋が来ますよこんばんはこんばんは
なるやうになる枯菊も寄る蜂も
雪降れり劇中劇の中も雪
題材にされるものが新鮮なのと、取り合わせもふくめた言葉のはこびかたが新鮮なのとで、今が二度とはめぐってこない、まさに新鮮なものなのだということを、やさしく理解する。