卒業でピースはダサい.jpg  葛城蓮士

「.jpg」は、画像ファイルの拡張子。「卒業でピースはダサい」といいながら、ピースの写真を撮り、jpeg形式で保存しているのだ。
「.jpg」が、メタ的な構造を明示している。つまり、「卒業の日にピースして写真にうつるなんて、いかにもダサい」というネガティブな上五中七の発言が、画像ファイルとして保存されていることを示す下五によって、そんなダサい俺、ダサい仲間、ダサい思い出を、自分は大事に思っている、という反転が書きこまれているのである。卒業の日にピースをするダサさを許容し合える仲間との、(ピースに象徴される)平凡な日常を、素直に肯定しない含羞が、さらに句を青臭くしていて、いい。

そういえば、彼が高校時代に俳句甲子園で発表した〈キャベツ食う食う食う泣いてなんかない〉もまた、泣いてないといいながら、泣いている句だった。

句集『少年レンズ』葛城蓮士(2017年)より。

えゝ竜田姫の口紅は青でした
でたらめな星座かさなり合う師走
夏山の祠にタッチしたら勝ちな
ほうたるよどこだごめんって言ったじゃん
瑠璃色の皿から洗う花信風
台風の目にいて影のうえにいて
頬杖に暖かな頭蓋の重さ
麗らかな君と畦道にいること
残雪のひかり洗濯物乾く
モナリザは泣いてゐたんだ後の月
瘡蓋も旧正月でめでたい
街のにほひ最後の大花火が消えて
僕よりも蝉が死にたがつてゐる
早口で喋る白息がぱふぱふ
しあわせを束ねてブロッコリーになる
てちてちと雀の元へゆく雀
蝙蝠のゐない空だし泣いていい

〈産声の悲喜定まらぬ虎が雨〉〈狂乱の予言も外れ青き踏む〉など、やや古い季語を用いると、少しかっこつけた句になる傾向があるか。現代の、今を生きる”ふつう”の日常を、リアルに詠むのに長けた作家。かっこ悪くていいからどんどん〈今〉を書いてもらいたい。