傘さして世界小さし雨蛙  兼城雄

「俳句」(KADOKAWA)2017年11月号、第63回角川俳句賞候補作品(次席)より。

仁平勝氏が月野ぽぽな「人のかたち」を、小澤實氏が兼城雄「若夏」を推して、最後まで粘って対立していた。

小澤 「人のかたち」は受賞作としての印象が薄い。幸いに残ってきた「若夏」に強く惹かれます。メッセージ性もあるし、沖縄を詠ったくも最近見かけないし、現在と過去と向き合っている奥深い作品だと思います。

ほかにも、小澤氏は「既存の言葉の中で終わっている」「この先に俳句の可能性はない」「心地よいムードや言葉が新たな向こう岸までいっていない気がするんです。ぼんやりとした内面にいる」と、受賞作に厳しい言葉を投げかける。

私自身は、「若夏」の、のびやかで強いことばに惹かれる。雨降れば雨粒を肌で感じ、「雷鳴に殴られて」と言えば本当に殴られたような、重たくひびく体感がある。きっと彼は、言葉が語り尽くせないものがあることに意識的な作家だ。だからこそ、抱き込んだ沈黙の量が、句をずっしりとひびかせる。

仁平 〈傘さして世界小さし雨蛙〉も〈世界小さし〉がダメです。

そうかな。私はこの句、ダメだと思わない。というか、積極的に肯定したい。傘から世界をすべて見尽くす若者の狭い視野に対して、雨蛙というちいさないきものを配した。僕にとって小さく見える世界が、ずぶ濡れの雨蛙にとっては途方もないすべてかもしれない。

小さな自分が世界にひらかれてゆく感覚は、なんというか、生きていていいんだ、と、生を肯定させてくれる力がある。「世界」に他の言葉を代入すると、途端に句は褪せそう。世界、としか言えないほどに、眼前のそれは、茫漠としているから。