瀧壷をもう拔けられぬ瀧の音   仲寒蟬

ただの流れる水であっても、滝になってしまった途端、滝は滝であることから逃れられない。
「もう」という言葉が絶妙に効いている。
滝ではなかった頃の水のしずかな流れの音を懐かしみながらも、
ごうごうと力強い流れの中に留まる音の確かさに、
切なくも中毒的な心象風景を見るのだ。

『里 101号』(里俳句会、2011.8)より。