目逸らさず雪野を歩み来て呉れる   生駒大祐

恋の句と読みたい。
恋人になにをしてもらうのが嬉しいか、と考えるときに、
即物的なこと、または観念的、方法的なことなどさまざまあるだろうが、
掲句の嬉しさはとても純粋でありつつ、綺麗事ではないリアリティがある。
この「呉れる」がなければ少しホラーだが、これがあるからこそ喜びが感じられる。
きらきらと輝く「雪野」が、二人の眩しさと静けさを表しているようだ。

『手紙 第一通』(2011.10)より。